「石原さんは、ハンドルを切る角度も細やかで、まさに車と一体になって運転しており、優勝も夢じゃないと確信しました。チーム監督として、私がいつも胸に秘めていたのは、
『打倒A社、打倒B社』という、いつか大手を打ち負かすぞとの思いです。
悔しいじゃないですか。規模や環境では劣っていても、ドライバー個々の技能は引けを取らないわけですから。
石原さんという才能を得て、私が次にしたことは、『すごい新人が現れた』と言いながら、練習時間を割いてもらえるよう営業所の上司らに根回しすることでした」
石原さんが所属する倉富物流センター所長の篠田光生さん(49)にも、迷いはなかった。
「わが社は、昔から女性ドライバーの採用を推進してきました。約230人いるドライバーのなかで、女性は20人ほどですが、これは業界では高い比率と自負しています。現在も最高齢で60歳のトラガールの方がいます。彼女たちは、運転だけでなくお客さまへの対応もこまやかで、評判なんです。
ドラコンへのチャレンジは、中小企業としての意地でもありますから、応援しないわけがない」
やがて本社の駐車場には、本番と似せた走行コースの練習場も完成。その前に、増田監督らは競技会場の下見までしている。こうして営業所どころか、会社一丸となってバックアップする態勢が整っていった。
「ドラコンへの挑戦で、ドライバーとしての視野も広がるぞ」
そう言いながら、増田監督から手作りの“過去問”を渡されて、最初は戸惑ったという石原さんだった。ドラコンでは、運転技能に加えて学科の試験もあるのだ。
「ええっ、いまさら問題集、やってられんわぁと思いました。でもすぐに会社も勉強会の時間を作ってくれたり、その間の配送を仲間のドライバーが手伝ってくれたり。みんな、私がいったん帰宅したら、やんちゃな子供が3人もおって勉強どころじゃないと、わかってくれていたんですね。
その分、家事は、日曜に子供たちと買い物に行って、いつも仕事で自分で運んでる(笑)冷凍食品を買ったり、お総菜を1週間分作り置きしたりで、やり繰りしました」
そして17年10月、ドラコン全国大会に初出場を果たす。
「台風の中の大会で、競技のメインイベントともいうべきバックのスラローム(S字曲線)からの車庫入れで思うようにいかず、2回切り返して、6位。悔しくて、やっとスイッチが入ったかな」
プロジェクトチームの一員である松本晃弥さん(31)は、
「石原さんの運転テクニックは、ほかの男性ドライバーも一目置いています。ふだんから走りながら、現場の道路で腕を磨いてる、尊敬できる先輩ドライバーです」
日常業務をこなしながら、石原さんも、来年こそは絶対に優勝と思っていた。
ところが、
「子供会の会長をしていて、ちょうど秋祭りと重なって。出店の店番もしなくちゃいけなくて、泣く泣くドラコンを辞退しました」
これに大きく落胆したのが、増田監督だった。
「実は、私は1回目の出場時から彼女の優勝を狙っていました。達成できると思ったのは、ふだんはどこか天然なところもある彼女ですが、いざ学科の勉強が始まると、熱心にノートを取り、ガンガン質問もするタイプなんです。そのまじめさとあのセンスがあれば万全、と思ったんです。
あとは、物怖じしないハートの強さ。実は私自身、ドラコン挑戦組の第1号でもあります。でもね、本番になると緊張しぃで、県大会止まり(笑)。それを彼女は、淡々と『楽しんで乗ってきます!』と言ってのけます。
子供会で『今年は無理です』と聞いたときはがっかりしましたが、ああ、名ドライバーもお母さんなんやなぁと、改めて思いましたね」
翌年も子供会の役員をしていて出場できずに、ようやく20年秋に今年こそと思っていたら、コロナ禍で大会そのものが中止に。
「ですから、21年秋のドラコンは、私には、まさしく、最後のチャンスと思って臨みました」
石原さんが“最後”と言うのは、大会の規定で、全国大会へのチャレンジは一人2回までと定められているからだ。