そして、いよいよ21年10月、茨城県ひたちなか市で第53回のドラコン全国大会が開催された。
地区予選を勝ち抜いた108人の精鋭ドライバーのうち、トラガールは15人。石原さんは岡山県代表だ。
1日目の学科試験では若干のミスもあったが、本人は、
「これで開き直って、2日目の実技を、のびのび運転できた」
その実技での、最難関のスラロームでのバック走行。
「いつも監督や仲間と練習したときを思い出し、“自分らしく”と言い聞かせながら走りました」
石原さんの運転する、鉄の塊のようなトラックの巨体が、わずか数cmのポールの間を、しなやかなS字の弧を描きながら進んでいく。それは増田監督が命名した「神ライン」を達成できた証しだった。
監督やドライバー仲間たちは、コロナによる無観客開催のため会場には行けずに、本社でのライブビューイングで観戦していた。そして、結果発表。
「第1位、おか……」
アナウンスを最後まで聞かずに増田監督が叫ぶ。
「勝った!」
「おおおおーー!!」
会社中が喝采に沸いた。結果は、1000点満点中949点の堂々たる高成績だった。
「もう、『岡山県代表』と全部聞く前に号泣してました」
監督の脳裏を、みんなで「あきらめない」を合言葉に切磋琢磨した日々がよみがえる。
プロジェクトチームの結成からまさしく「苦節10年」。地方の中小企業が、一人のトラガールが、並み居る大手を打ち負かした瞬間だった。
■長女がトラガールを目指すと言ってくれた
「優勝を報告したときは、ドラコンの意味がわからなくてポカンとしてた息子たちも、副賞の旅行券で正月にユニバーサル・スタジオ・ジャパンに連れていって初めて『ママ、すごい』でした(笑)」
石原さんには、優勝後、もう一つ、うれしいことがあった。長女が、母親と同じ「トラガールを目指す」と言ってくれたのだ。当の梨菜さん(15)に聞いた。
「世間では、カッコいいトラガールかもしれませんが、家での母は、かまってちゃん(笑)。
また母はよく、私たちを連れてスーパーに行くと、冷凍食品売場の前で『これはママたちが運んだ商品。ドライバーという仕事がないと、社会は回っていかないんだよ』と教えてくれました。
そのころからのドライバーへの憧れが、母のドラコン優勝を機に確信と変わりました。この春、高校に入学したら、母と同じ職場で配送のアルバイトから始めます」
好きなことを生涯の仕事にしている自分は幸せ者とも言う石原さん。
「この会社で、『女だてらに』とか『女はダメだ』と言われたことはありません。私が、男性ドライバーのみなさんと同じく、運転が好きという気持ちが伝わっているせいかもしれません。何事も中途半端で、学生のころから団体行動が苦手だった私。一人でいられるトラックの運転席は、そんな私がようやく見つけた心地よい居場所なんです」
11トントラックの窓からそう言い残すと、春風の中、トレードマークの長く赤い髪をなびかせながら次の配送先へと走り去った、いつもの軽やかなハンドルさばきで。