■大学時代に出会ったふたり。裕子さんは《一目で好きになった》と書き残した
永田さんは66年に京都大学理学部に合格し、京大短歌会に所属。翌年に裕子さんと運命的に出会う。46年生まれで1歳年上、京都女子大学2年だった裕子さんとの初対面は、学生たちの短歌同人誌『幻想派』創刊の顔合わせでのこと。
「白いブラウスの彼女はいかにも繊細そうでいて、ちょっとしたことにもよく笑った。無防備な天真らんまんさと、不思議なキャラクターを感じました」
お互い意識してはいるものの、「一目ぼれ」とはいえない初対面。それが「思慕の情」へと急進していくのは、その3カ月後の10月、2度目に会ってからとなる。
「京大近くの喫茶店に先輩に連れられて行くと、河野も偶然、先輩と一緒に現れたんです」
10月14日の裕子さんの日記には、心躍るさまが描かれている。
《永田さん、一目で好きになった ほんの一瞬の間でも やはりこころは傾いてしまう 彼は ふかくて 寂しくて 厳しい人のようだ》
弱冠21歳の胸に、永田さんが、にわかに入り込んだ瞬間だった。
一方、恋愛経験は「皆無に等しかった」永田さんの胸中も……。
「僕が話しだせば必ず相づちを打って反応してくれる。自分の思いを重ね、質問したりするので話が途切れず、すぐに時間が過ぎていく。そんなことで月に一度会う間隔が、週に二、三度となるのにそう時間はかかりませんでした」
こんなふうに《お互いに意識しあっていた》(10月16日の日記)のに1月5日には《あなたを傷つけてしまった》と、ひと悶着あったことを裕子さんは記している。
この間に永田さんの“恋敵”の存在が明かされたのだ。正確に言えば、永田さんを好きになる以前から好きな男性がいたことが。
「何度も会っているうちに、心に思い決めている男性がいるらしいことに、薄々感づいてはいた」と永田さんが顚末を振り返る。
「私と頻繁に会うようになる2カ月ほど前、河野が短歌誌『コスモス』の全国大会で知り合ったのが、その『N』という青年でした」
裕子さんのその時分の日記には、N青年に関する記述も見られた。
《愛情について語った時、明らかに私は 彼のひたひたとした愛情を感じた……》
「全国大会の後、数カ月は文通が続いていたようです」と話す永田さんこそ、N青年との恋路に「割って入った」格好なのだが。
約2カ月後、裕子さんの思いは振り子のように揺れ動いていた。
《今、Nさんを失ったら、歌を創るはりも ゆめもなくなってしまう……今、永田さんを失ってしまったら到底しゃんとしてはいられない》(12月21日)
そしてとうとう《言ってはならぬことを言ってしまった……ふたりの人を 愛していると》(1月7日)という衝撃の告白に至るのだ。
こうして裕子さんに思いの丈をぶつけられた永田さんは、会って話し、息遣いを交わし、そのうえ手紙も重ねて意志を示した。
《どちらかを選べ というのは 残酷だと思います けれど どちらかでは困るのです ぼくでないと困るのです》(1月31日 永田)
2月3日、京都府立植物園。プラタナスの木の下で、ふたりは生まれて初めてキスをした。