そばの価格も、天ぷらそばを例に取ると、創業時の180円から390円、現在の470円と、物価上昇につれて少しずつ値段も上がってきた。だが、ワンコインで満腹になれる立ち食いそばは、今でも庶民の強い味方だ。
以前は忙しくなる時間も読めましたけど、最近は出社時間も自由だったり在宅勤務も多いようで、店のピークもなくなりました。
BIG BOX前の広場がコロナ禍で閑散としたのは、70年近い馬場での暮らしのなかで初めて目にした異様な光景でした」
吉田屋に、区画整理の話が出たのも、同じころだった。
「実は、もう何十年も前から話はあったんです。具体的になったのが、2年ほど前から。以前と違ったのは、周囲のお店が軒並み閉店していったこと。
まわりでは裁判なんて話も出ましたが、私は争い事はしたくなかった。だって、父が大好きな場所だったから」
とはいえ、けっして簡単に閉店を決めたわけではない。
「苦渋の決断、断腸の思いでした。それは、言っておきたい。私の夢は、18年前から一緒にカウンターに立っている四女に店を引き継ぐこと。さらにはその娘、つまりは孫娘へと。
だって、男の人は会社勤めすれば生活も安定するけど、女の人生は何が起きるかわからないでしょう。私がそうだったから。だから娘や孫に、生活の安定のよりどころとして、この店を残したかった。
弟が継いだ父の寿司屋もなくなりますが、やっぱり私の中には両親に申し訳ないという思いが強いんです。そんなプレッシャーもあったんでしょうね、6月2日に突然腸閉塞になって、自分で救急車を呼んで10日間入院しました。でも、そのことで踏ん切りがついたのも本当なんです」
彩華さんの入院を機に、品川区の大井町でそば屋「彩彩」を営むご主人が、自分の店を休んで、吉田屋の閉店まで手伝ってくれることになった。
「お母さん。長い間、ご苦労さま」
病院のベッドの上から閉店の決意を告げたとき、ご主人はこんな言葉で労ってくれたという。
「それを聞いて、46年ぶりに、ようやく重たい肩の荷から解き放たれた気がしました」