結婚直前の倒れリハビリ11年“全身不随”の夫から妻への4文字のラブレター
画像を見る 休日はカメラ片手のデートが定番だった以前の泰行さんと織子さん

 

■当時は夫婦ではなかったけど『この先もずっと、一生一緒にいる』と決めた

 

関西に身内のいない秀行さん。織子さんは病院で「婚約者です」と自らを名乗り、医師からの説明を受け、手術の承認もし、秀行さんの実家に連絡も取った。

 

でも、厳密には婚約を交わしていたわけではない。手術の翌々日には、彼の母も福島から駆けつけた。医師からは「社会復帰は難しい。この先も寝たきり、あなたはみとるだけの生活になる」と非情な宣告まで受けた。それでも、織子さんは彼のもとを離れなかった。

 

「そうですよね、そこでお別れする人もいるのかもしれません。でも、私にはなぜか『彼はこのまま絶対終わらない』っていう確信があって。それに、私にとって彼は本当にかけがえのない存在でした。当時は夫婦ではなかったけど『この先もずっと、一生一緒にいる』と、その時点で私、決めたんです」

 

こうして、織子さんは術後のリハビリにもずっと付き添い続けた。

 

「でも、なんとなく病院からは匙を投げられている感じで。回復の見込める患者に対しては、病院も懸命にリハビリをさせてくれるんです。でも、彼の場合、その見込みは薄いと思われていた。体はどこも動かせなかったし。気管切開をしていますから、声でコミュニケーションも取れない。『とりあえず関節だけは動かしておきましょう』という感じで、形ばかりのリハビリしかさせてもらえなかった」

 

彼はこのまま終わらない、私が絶対よくしてみせるーー。強い信念のもと、彼女は奔走した。そして、秀行さんに手を差し伸べてくれる医師を求め、2人は奈良から彼の地元・福島、さらに山形へと転居・転院を繰り返した。

 

「山形で診てくださった嚥下機能のリハビリ専門の先生が、とても親身になってくれた。のみ込む力が回復してくると、彼の全身の状態もどんどんよくなっていったんです。それまで混濁しがちだった意識も、はっきりするように。その後、その先生が長野の病院に移ることになり、私たちも’17年の暮れ、ここに移住してきたんです」

 

’20年、彼の意識障害が癒えたことで、2人同意のもと入籍。はれて、2人は夫婦になったのだ。

 

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