【御巣鷹山から37年】遺族の闘い「裁判に勝って、すべての真実を明らかに」
画像を見る 吉備さんの携帯ストラップには在りし日の夫の凛々しい表情が(撮影:加藤順子)

 

■「すぐ救助していれば助けられた命があったのに……」

 

そんな窮地を一冊の本が救う。

 

元日航客室乗務員の青山透子さんが2010年に著した書籍(現タイトル『日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ』河出書房新社)で、同事故の疑問点に初めて光が当てられたのだ。

 

「報告書の矛盾など数々の疑問を指摘していました。地元選挙区の中曽根首相が事故後3カ月も現場入りしなかったことも、検証していた。強い味方を得た思いでした」

 

2011年8月、吉備さんは上京し、青山さんに思いの丈をぶつけた。

 

「そこから青山さんがさらに取材を深め、個々の疑問が集約されて“争点”に変わっていきました」

 

のちの発表分も含む青山さんの著書群から要点の一部を抜粋する。

 

《当日18時24分に後部圧力隔壁が突風で破壊されたとの報告書の結論は、付近の生存者が誰も吹き飛ばされなかった事実と矛盾する。

 

報告書・付録(2013年公開)には、垂直尾翼のほぼ中央に「異常外力の着力点」と印が明記されている。

 

群馬県警本部発行の冊子に手記を寄せた自衛官、文集に作文を書いた上野小の児童など、ジャンボ機や追尾するファントム2機の目撃談が多数あった。

 

なかにはジャンボ機の胴体に楕円に付着していた朱色か赤色や、「真っ赤な飛行機」の目撃談もある。

 

上野村村長は墜落直後に国や県に「墜落現場は当村」と電話連絡。

 

米軍元中尉は墜落20分後に輸送機で現着したと後に証言。

 

事故直後に現場は特定されていたはず》

 

これらの要素を総合し青山さんは次の仮説を立てている(要約)。

 

《相模湾上空で、123便の垂直尾翼の「異常外力着力点」にテスト飛行中の自衛隊模擬ミサイルか朱色の標的機が衝突したのが原因だ。

 

墜落場所を知りつつ救助開始が遅れたのは、自衛隊が証拠の隠蔽工作をしていたからではないか》

 

これを「にわかに信じがたい」と訝る向きもあるかもしれない。

 

だが同時期、自衛隊の海上でのミサイル飛行テスト実施状況が各紙で報じられていた。

 

中曽根政権が防衛費1%枠の撤廃や国産ミサイル開発を推進するただ中だった。

 

また墜落現場でほぼ完全状態で発見された重要証拠の圧力隔壁を、事故調査委員が来る前日の15日に自衛隊が大型電動カッターで5分割してしまったのは事実である。

 

吉備さんが声を震わせて言う。

 

「救助された落合由美さん(当時26歳、CA)の証言では墜落当夜、現場で『おかあさん』とか『ようし、僕は頑張るぞ』という声が、しばらく聞こえていたといいます。

 

川上慶子ちゃん(当時12歳、生存者の1人で、両親と妹を失う)は、しばらく妹さんと会話できていたようです。すぐ救助していれば助けられた命があったのに……」

 

もはやボイスレコーダーの開示検証が必須なのは明らかだろう。

 

だが、報告書に記されたレコーダーの会話には空白部分が多く、存在するはずの高濱雅己同機機長とファントム機などとの通信記録が欠落しているのである。

 

吉備さんは決意を固めた。

 

2020年7月、三宅弘弁護士や経済アナリストの森永卓郎さんらの協力で「日航123便墜落の真相を明らかにする会」を発足し代表就任。

 

そして2021年3月26日、日航に対してボイスレコーダーとフライトレコーダーの生データ開示を求める民事訴訟を起こしたのだ。

 

当日、吉備さんはビデオメッセージで第一声を発した。

 

「疑問点を払拭するために立ち上がりました。

 

日航の持つ情報をすべて明らかにしてほしい、ボイスレコーダーを直接聞かせてほしい。

 

それが夫をはじめ520人の供養になり、遺族の当然の権利です」

 

いま、吉備さんは520人の魂とともに闘っているのだ。

 

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