白内障で目が見えない象のアヌーラ 体調が悪い時は仲間の象に支えられた
画像を見る 鼻を頼りに暮らすアヌーラ

 

動物や動物園に造詣が深い作品を多く残しているわしおさんは、ゾウに対しては思い入れが強い。

 

「太平洋戦争の前、私の実家から歩いて行けるところに上野動物園がありました。そこには、ジョン、トンキー、ワンリーの人気者の3頭のゾウがいて、小学生だった私は、トンキーが後ろ足で立ったり、ジョンが鼻で旗を振ったり、ワンリーが子どもたちと綱引きをしているのを夢中で見ていました」

 

児童文学作家の土家由岐雄による童話『かわいそうなぞう』の主人公たちである。43年(昭和18年)に、戦況が悪化するなか《空襲によって動物園の猛獣が逃げ出したら危険だ。その前に猛獣を毒殺せよ》との命令が出された。

 

わしおさんが続ける。

 

「ヒグマやライオンは次々殺されました。3頭のゾウは、毒入りの餌を食べなかったから、餓死させる方法しかなかったのです。肌はカサカサにひび割れ、あばらの浮き出たおなかになっても、餌をねだって芸をしていたといいます。『この次、生まれてくるときは、戦争のない世の中に生まれてこいよ』とゾウたちを送り出した飼育員は、その悲劇から半世紀近くたっても『今でもゾウたちに餌をねだられる夢を見る』と話していましたね。

 

実は、ゾウたちを地方の動物園に疎開させる計画もありましたが、動物ですら身を捨てたのだから国民も戦争に協力しろ、という戦意高揚のため、いわば見せしめのためにゾウたちは殺されたのです」

 

動物園にゾウがいることが、どんなに大切なことかーー。山川さんがこう語る。

 

「ウクライナの動物園では餌などの物資不足などの困難に直面しています。そこで飼われている動物たちを、いかに生き延びさせるかと私たちも尽力しないといけません。戦争は人間だけでなく動物にとっても不幸な状況に追いやられていきます。動物園に行くとゾウに会える、キリンに会えるという当たり前のことが、どれだけ大切なことか感じてほしいですね」

 

■高齢でも食欲旺盛のアヌーラ。長い鼻を頼りに暮らしている

 

77回目の終戦記念日を迎えた日。強い日差しが照りつけるなか、アヌーラは今日ものんびり過ごしている。水場まで近づき、鼻先で泥をすくっては体に塗りかけ、暑さをしのいでいる。新しいゾウ舎は、アヌーラの足やひづめへの負担を軽くするために、厚さ2mほどの砂を敷き詰めている。

 

アジアゾウの飼育を担当している田口陽介さん(30)は、

 

「アヌーラは、17年に園内にあった別の施設から、このゾウ舎に引っ越してきました。当初は屋外放飼場が未完成だったため、しばらくお客さんは、アヌーラの姿を直接見ることはできませんでした」

 

野生に近い環境を整えた広い屋外放飼場が完成したのが昨年夏のこと。久しぶりに子どもたちに会える、今年は特別な夏休みだ。

 

現在、多摩動物公園には、アヌーラのほかに、アマラ(雌・17歳)、ヴィドゥラ(雄・15歳)の2頭のアジアゾウがいる。

 

「アヌーラは、とくに隣の部屋にいるアマラに対して優しくて、攻撃的な行動をしないですね。今では、一緒に餌を食べるなど、仲よくしています。繁殖もできればいいんですが、アヌーラは目も見えないし、雌に乗ろうという動きもないので、まあ、あわよくば……ですが、あまり期待はしていないですね」(田口さん)

 

ゾウの飼育は、かつては飼育係とゾウが同じ空間にいる「直接飼育」が主流だった。多摩動物公園では、13年から、飼育係は保護柵を間に挟んでゾウと接触する準間接飼育に。ゾウのストレスがなく、飼育係の危険性も低くなった。

 

「昭和の時代の飼育係はゾウに対する扱いも『このやろ、オレの言うことを聞かないか』という世界。飼育係はいつも手鉤という先端にとがった金属の棒を持ち歩いていたものです。ゾウに直接触って飼育するのは危険でしたが、殺されても本望みたいに思っていました。その分、ゾウにとってもかなり負担になっていたわけだし、今の飼育方法は、年齢を重ねたアヌーラにとっても、過ごしやすい環境でしょうね」(山川さん)

 

餌は、好物のりんごのほかに青草や干し草、白樫の枝など1日100kgほど。

 

「高齢ですからビタミン類など栄養素で足りない部分を補うために、ペレットといわれる総合栄養食やタンパク質が豊富なアルファルファも。またキャベツはほかのゾウには水分が多くてあげていませんが、アヌーラはキャベツが好きなようで、毎日10kgほどあげています」(田口さん)

 

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