元信者で脱会支援する牧師「統一教会2世は、親を否定すると自分はいなくなる」
画像を見る 脱会した信者たちが残していった旧統一教会の書物を手にする竹迫さん

 

■「スパイは帰れ!」と殴られて。信者になって1年8カ月、19歳で脱会に至った

 

数カ月ぶりに帰宅すると、そこには両親のほか、旧統一教会の内実に明るい人たちが集まっていた。

 

「両親は、脱会させる準備を重ねていた。足を負傷し自由に動けない私は1週間、組織のスキャンダルが書かれた記事や資料を見せられながら、缶詰め状態で説得を受けました」

 

それでも、心は動かなかった。

 

組織から「きつい説得を受けたら『やめる』と噓をついて逃げ出せ」とも教えられていた。

 

「私も『やめる』と言いました。両親から『友達はどうするんだ?』と聞かれてしまって」

 

じつは竹迫さん、高校の同窓生を7人、勧誘していた。

 

「仕方なく『彼らにもやめるよう勧める』と答えると、私を単独で行かせることを不安視した両親が、牧師を同行させた。監視役ですね」

 

松葉杖をつきながら、牧師を伴い、友人宅を回った。

 

「表向きは脱会しても、隠れキリシタンのように信仰を続けようと思っていた。でも、監視役の手前、友人たちにはそうも言えず……」

 

友人のなかには牧師が見せた資料を目にして、ショックを受ける者もいた。彼らは竹迫さんの偽りの説得に、次々と折れていった。

 

「そのうちの1人がビデオセンターに電話してしまった。『竹迫が牧師を連れ説得に来たのでやめます』と。すると、旧統一教会では『竹迫が裏切った』という話になって」

 

本心ではやめるつもりはないのに、家には脅迫まがいの電話が。そこで竹迫さんは、釈明に向かう。

 

「でも、旧統一教会の建物の手前で、信者たちに取り囲まれ、杖を取り上げられ、路地裏に引っ張り込まれて。『スパイは帰れ!』って腹を3回、蹴られました」

 

自身が暴力の標的になって初めて、竹迫さんは、なぜ社会が彼らを危険視するのかを「身をもって知った」のだった。信者となって1年8カ月がたった’86年、竹迫さんは19歳で脱会に至った。

 

■相談に来た家族や、脱会を促されている信者の前で、自分の体験を話すように

 

「本音を言えば、戻りたくても怖くて戻れない、宙ぶらりんな状態でした」

 

大学はすでに中退。鬱々と日々を過ごしていると、くだんの牧師に声をかけられた。

 

「忙しくてかなわない、手伝ってくれないか」

 

彼のもとには、旧統一教会に子どもが入信してしまった親たちが、多数、相談に来ていた。

 

「それで私も、彼がいる所沢の教会に連日出向いて。相談に来た家族や、脱会を促されている信者の前で、自分の体験を、ありのままに話すようになりました」

 

実体験を交えた話を聞いて、脱会を決意する信者が続いた。

 

そこで、改めて竹迫さんは聖書を読んでみようと考えた。多くの人が「旧統一教会は間違っている」と言う。ならば、聖書をきちんと読めば、彼らの言っている意味がわかると思ったのだ。しかし。

 

「旧統一教会風の読み方しか教わっていないので、自力で聖書に向き合っても、『旧統一教会は正しい』としか、読めないんですよ」

 

「聖書に関しては『正しい読み方を教えてほしい』と牧師に頼み込みました。3カ月ほど教会に通ううちに彼から『聖書のことを正しく教えてくれる学校がある』と教わったんです。それが東北学院大学のキリスト教学科でした」

 

竹迫さんは21歳のとき、同学の門をたたく。

 

「半年も学ばないうちにわかりました。旧統一教会が、いかに歪んだ聖書の読み方を教えていたのかが。彼らにはまず目的があり、そのためにキリスト教を悪用していたにすぎない、そう思いましたね」

 

大学を卒業して、竹迫さんは牧師になった。

 

一方、青森時代から、竹迫さんは教壇に立つ機会を持つようにも。

 

「青森ではキリスト教系の高校で聖書の授業を担当し、白河に移ってからは仙台の東北学院大と宮城学院女子大、2つの大学で非常勤講師として、講義をしています」

 

若い学生たちと関わりを持つなかで、竹迫さんの目に留まったのが「宗教2世」という存在だった。

 

「東日本大震災の少し前です。講義で『カルトには気をつけましょう』と話しながら文鮮明夫妻の写真を見せたことがあるんです。『有名なカルト教団の教祖ですよ』と。すると講義後、1人の女子学生が『同じ写真が実家にもあるんです』と打ち明けてきた。それが2世に会った、初めての経験でしたね」

 

次ページ >合同結婚式に参加するため就職を断念させられていた高校生におじいさんが…

【関連画像】

関連カテゴリー: