■呉服屋、佃煮屋と働きながら、80代半ばになって、テレビに出ていた松潤に釘付けに
千住から現在の浅草5丁目に引っ越して呉服屋を開いたのが20歳のとき。
屋号の「千草屋」は、ここから始まる。すぐ近くには、あの吉原大門もあるが、観光名所の浅草寺などとは少し離れていた。
「あたしは10歳から団子やラーメンを売ってきて、商売には何が大切かを身に染みてわかっていました。だから、ほかの店がやってないアイデアで注目してもらえるよう工夫したんです。
着物を買ってくれたお客さんにお土産を持たせたり、民謡教室の催しに呼ばれると着付けまでやったり。当時、『時給1万円の女』と呼ばれてたの(笑)」
結婚してすぐに、3人の子供にも恵まれた。
「ただ、長男は5歳のときに川に落ちる事故で亡くなりました。そのつらさを忘れようとするように、夫婦で死に物狂いで働いて、おかげで40年もの間、店を繁盛させることができました」
やがてバブルが崩壊し、和服を着る人も減り、さらに夫も亡くなったことで、千恵子さんは廃業を決意する。驚くのは、ここで隠居生活に入るどころか、70歳にして新たに起業したことだ。
「だって、健康なら、働くことは楽しいじゃありませんか。で、何をするかって思うの。そのときひらめいたのが、呉服屋時代にお客さんに持たせていた佃煮でした。
その佃煮も最初はよそから仕入れてたの。でも、おいしくないのよ(笑)。だったら自分でと、手作りしてたんです。特に自慢は、葉唐辛子の佃煮。よし、これをオリジナルの売り物にしようと」
同居していた次男の隆さんと裕樹子さん(60)夫婦も手伝い、家族経営の佃煮屋で、千恵子さんは70代、80代と、またも必死に働き続けた。
そして80代半ばになった、ある日の夕食時だった。孫娘の麻咲子さん(32)と見ていたテレビに、千恵子さんは釘付けとなる。
「アップで映っていたのが、『VS嵐』に出ていた松本潤さん。ひと目ぼれよ(笑)。
どこがよかったか? そりゃ、男は顔よ! 濃い眉、スッとした鼻筋という、キリリとした顔立ちのイケメンが、あたし、大昔の大映映画のころから好きなのよ」
以降、松本潤や嵐が登場する番組はすべて録画して、何度も見返すことが日課となる。
こうして始まった「推し活」だったが、まさか、そんな自分の日常がSNSに上げられ、日本中の話題になるとは夢にも思っていなかった。