昨年9月、キッチンカー「ユキチャンキッチン」を開業した秋吉由紀さん 画像を見る

「あんたたち、宿題はしたと!?」

 

長閑な町で、ひときわ目をひく派手なピンクのキッチンカー。その窓から、女性が身を乗り出すようにして大声をあげると、集まっていた子どもたちは「まだー」と無邪気な言葉を返した。すると女性は、また声を張り上げ、こう続けた。

 

「ポテトもクレープも、まだすぐにはできんから。一度、家に帰って、宿題持ってきなさーい!」

 

ここは、佐賀県みやき町。JR中原駅前、休業中のスーパーマーケットの駐車スペースに、そのキッチンカーは止まっていた。

 

子どもたちに声をかけていた女性は、秋吉由紀さん(45)。

 

秋吉さんは昨年9月、キッチンカーによる移動販売店「ユキチャンキッチン」を開業。ここ中原駅前のほか、週末には近隣のイベントにも出店している。クレープや唐揚げ、フライドポテトなどを格安で提供するユキチャンキッチンは、開店から間もなくすると連日、子どもたちや、地元の住民たちでにぎわう“人気店”になった。

 

「はーい、いちごクレープ。お待たせしましたー」

 

できたての品を客に手渡しながら、横目でフライヤーの油温もチェックする。ひっきりなしに客が来るキッチンカーで、ポテトを揚げるのも、焼き上がったクレープに、生クリームや果物を飾りつけるのも、調理全般を秋吉さんは1人でこなす。パワフルで、エネルギッシュ、忙しく動き回るその姿は、元気はつらつに見えるのだが……。

 

じつは8年前、秋吉さんは胃痛を訴え病院に。そこで胃がんと乳がんが発覚した。すでに末期のステージ4だった。以来、闘病を続けてきたが、昨年がんは大腸に転移。その際には主治医から「余命2カ月」とも告げられた。

 

そう、彼女がキッチンカーの営業を始めたのは、非情な余命宣告を受けた、その後のことなのだ。

 

「どうせ死ぬんやったら、やりたいことやろう、そう思ったんです」

 

秋吉さんはこう言うと、こともなげに満面の笑みをみせる。このバイタリティは、いったいどこから来るのか。あぜんとする記者をよそに、秋吉さんはまた、窓から子どもたちに声をかけた。

 

「はい、ポテト揚がったよ!」

 

やがて、キッチンカーの周囲には部活帰りの中学生たちが集まってきた。そこに自身の息子たちの姿を見つけ、秋吉さんは長男にこう声をかけた。

 

「龍青、発電機が止まっちゃったから。スタンドのおじさんにガソリンの配達、お願いしてきて」

 

「はーい」と応じた長男、少しのんびりとした調子で自転車に跨った。すかさず、母の叱責が飛んだ。

 

「早く行かんね! 冷凍庫のアイスが溶けるやろ!」

 

慌てて走っていく長男の背中を見つめる秋吉さん。キッチンカーの周りでは、次男やその部活仲間たちが、ふざけ合いながら、クレープやポテトを頰張っている。そんな子どもたちの様子を、愛おしそうに眺めていた秋吉さんは、不意にこうつぶやくのだった。

 

「こういう光景が、私の理想だった。この景色を見たくて、キッチンカー、始めたようなものだから」

 

次ページ >60歳まで頑張れたら、悔いはいっぱい残ると思うけど、悪くない人生…

【関連画像】

関連カテゴリー: