■内戦が落ち着けば、戻るつもりだ。スーダンと日本の架け橋となる
激しい爆発音。突然起こった戦闘によって、平穏だった生活が奪われたのだ。
30時間かけて首都から地方の空港にたどりつき、九死に一生を得て、日本に帰ってきたが、現地の情勢はいまだ不安定だ。
「いらっしゃいませ! 先生、ご無事でよかったですね」
5月下旬、川原夫妻が向かったのはなじみの和食店。緊急脱出後、初めての来店だったため、店主たちが無事を喜んでくれた。
命からがら脱出したのだから少し休んでもよさそうなものだが、川原は帰国後も「ほぼ無休」だ。
1週間のうちに、東京で講演したかと思えば、長崎の会合に出席し、東京に舞い戻り、沖縄を経由して福岡に戻るといったハードスケジュール。仕事先ではマネージャーとして、可能な限り佳代さんが同行している。
「私はスーダンの政情が安定するまで好きな酒を断っているので、会合などでは代わりに女房に酒を飲んでもらっているんです」
冗談を言うが、離れた時間が長かった分、一緒の時間を大事にしたいとも考えているはずだ。
とくに、佳代さんも心配しているのは健康面。4年ほど前、激務が続き睡眠時間を削った毎日を送ったため、異型狭心症という病気で、突然、ばたんと倒れてしまったことがあるためだ。
「夢中になると、休みを取らずに無理をしてしまうので、死にかけてしまいました。意識的に休むようにするため、一息ついたら、女房と別府温泉にでも行くつもりです」
そう語る間も、現地と電話連絡をとっている。どこにいても、心はスーダンにある。
「内戦が落ち着けば、スーダンに戻るつもりです。もっと医療を充実させたいし、今後は農業支援にも力を入れたい。日本との貿易がうまくいけば、地域の経済が回り、自立できます。その仕掛けのため、明日からは東京に行って、駐日スーダン大使に相談するんですよ」
マラリアから命を救った女性は、村で一緒に汗をかいたハサンさんは、無事でいるだろうか。
地域を豊かにするために、彼ら民衆に誓う。あなたたちの笑顔にまた会う、と――。
スーダンと日本の架け橋となり、「ロシナンテス」は疾走し続ける。