スーダン内戦から決死の脱出 認定NPO法人「ロシナンテス」理事長・川原尚行(57)
画像を見る 日本へ脱出するため、30時間に及ぶ大移動。戦闘に巻き込まれる可能性もあり「生きて帰れないかも」と覚悟した

 

■30時間以上かけた脱出行。ともに汗をかいた村のリーダーが危険を冒して迎えてくれた

 

「4月15日に男性スタッフと住む寮で銃声と砲撃の音を聞いて、ただごとではないと。窓からは爆撃機が見え、ビルが空爆を受ける様子も見えました。家族にはLINEで《どうやら内戦が始まったらしい》と伝えましたが、女房は現実的には捉えられず、最初は《何それ》という反応でした」

 

しばらくは外出もままならないだろうから、籠城するためになじみの個人商店に買い物に出かけた。

 

「動きが早かったのか、1カ月分の食料品を買い込むことができました。事務所に隣接する女子寮にいる日本人スタッフ1名とも連絡を取り合い、水をためたり、ガスのチェックをしたり、電気が通っているときは常に通信機材などを充電しておくようにしていました。水は貴重なので、ボトルは当然、お菓子の箱やおけなど、ためられるところにためました」

 

そんな様子を撮影して、LINEに《籠城成功!》と送ると、佳代さんからは水が蒸発しないよう《ラップをした方がいい》というアドバイスが返ってきたという。

 

長男や長女は、3歳と1歳になる孫の動画を送ってくれた。場所は離れていても、心のそばで家族が支えてくれていることを実感。

 

事務所の整理をするために外出するときは、細心の注意を払った。銃を持つRSFの軍人が街中にいるため、自分は日本人だからと身分を明かして、敵意がないことを伝えなければならない。 「家が襲われることも考え、持っていた現金を分けて、渡す分の見せ金を用意。パソコンも仕事で使うものは確保して、使わないパソコンや携帯も準備しました」

 

LINEを通して、夫婦や家族のやりとりが続いた。

 

《今日まで停戦。静かです。明日からどうなるかは不明》

 

《ずっと停戦だといいのですが》

 

佳代さんが語る。

 

「LINEに《大丈夫?》と送って、既読がつけば安心。すぐに既読にならなくても、これまでも通信環境が悪いということはありました。でも1日待っても返事が来ないと怖くなるんです」

 

緊張状態が続くなか、日本政府は邦人を国外退避させる決定を下した。川原が語る。

 

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