スーダン内戦から決死の脱出 認定NPO法人「ロシナンテス」理事長・川原尚行(57)
画像を見る 自衛隊機が待つポートスーダンの検問には、自らも危険を冒して来てくれた、医療支援した村のリーダー、ハサンさんの姿が

 

「無念よりも、生きていればこそ、活動は再開できると思っていました。まずは日本人スタッフとともに、無事に日本に帰ることが最も重要なことだったんです」

 

4月23日の朝4時にハルツームの集合場所へ向かい、そこから30時間以上かけて港町、ポートスーダンまで移動することになった。

 

「1千人を超える、大移動となります。ハルツーム内の移動でも襲われたケースが報告されていたから、家族に電話して『どうなるかわからん。もしかしたら死ぬかもしれん』と伝えていたんです」

 

佳代さんも気が気ではない。

 

「ポートスーダンまでの移動も、もしかしたら襲われるかもしれないし、なにより長時間の車の移動なので、事故が怖かったです」

 

佳代さんが危惧するように、車の運転は過酷だった。食事や睡眠もほとんどとれない。食事休憩で体を伸ばすために車外に出たとき、兵士が走ってきて「ここは危険だから、車に乗ってくれ」と移動を促されたこともあったほど。何があってもおかしくない状況だった。

 

「日本人スタッフが励ましてくれたり、コーヒーを入手してくれたり。車にはスーダン人の夫と日本人妻の家族も一緒だったんですが、ちっちゃい子どもたちの姿やはしゃぎ声が、励みになりました。子どもたちの未来が、俺のハンドルにかかっているんだと」

 

ようやく目的地に到着したのが、24日午後1時。疲労困憊のまま、緊張状態が続いたが、検問所にあった見慣れた顔が、安心感を与えてくれた。診療所や井戸、教育施設をともに作った村のリーダー、ハサンさんだった。

 

「日本の家族は元気か?診療所も学校も、井戸もまったく問題がないから安心しろ」

 

川原さんは述懐する。

 

「何時に到着するともわからない私を、ずっと待っていてくれたんです。自分の身も危ないのに、わざわざ来てくれるとは……。車は現地に乗り捨てるつもりでしたが、ハサンに預けることもできました」

 

ポートスーダンから隣国のジブチへ向かう自衛隊機では、機内に掲げてある日の丸を見て涙が浮かんだ。ここではじめて無事に帰れると実感したという。

 

羽田空港へ到着したのは、内戦開始から約2週間後の29日。福岡から迎えに来た佳代さん、東京や山口で暮らす子どもや孫たちが空港で待ちわびる。

 

「無事に帰ったよ。心配かけたね」と語る川原に、佳代さんは「よかった、よかった」と抱き合った。

 

体から家族の温もりが伝わってきた──。

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