■兼重夫妻は3人の子供の学歴に強いこだわりが…
A子さんは兼重氏にとって2番目の妻であり、兼重氏が再婚したのは40年ほど前だという。岩国市に住む兼重氏の兄によれば、
「整備工場を立ち上げたころは、かなり資金繰りが苦しくて、(弟は)当時、口を開けば『カネが、カネが……』と言っていました。私たち兄弟が借金の保証人になっていた時期もありました」
その当時の生活を支えてくれていた最初の妻とは、その後離婚。そしてA子さんと再婚したころから、経営はどんどん上向いていったという。地元に近所で評判になるほどの邸宅を建てたのは’88年、息子・宏一氏が誕生したころだった。
当時の兼重一家を知る、地元の住人はこう語る。
「A子さんは小柄な美人で、いつもキチンとした服装をして、生活感を感じさせない女性でした。兼重さんとA子さんの間には、男の子2人、女の子1人がいました。この界隈では珍しく教育熱心な家庭だったことを覚えています。お嬢さんが広島市内の中高一貫の私立校に合格したときには、うれしそうに話してくれました」
3人の子供は全員、私立校に通わせており、自宅から駅までの送迎はA子さんが担当していたという。
「兼重さんが、息子の宏一さんが早稲田大学卒でMBAを取得していたことを自慢していたという報道もありましたが、お子さんたちが小さいころから学歴は重視していたと思います。
A子さんはいつも白いベンツに乗っていたという印象がありますね。町のゴミ置き場は兼重さんの自宅から20~30メートルほどのところにありました。そこにゴミを捨てるときも、ベンツで往復していたので驚いたものです。社長の奥さんともなると違うものだな……と。
兼重さんの会見直後に発売された週刊誌で、当時のA子さんのゴミ出しマナーがよくなかったという証言を読みました。地域の人が(A子さんが)ゴミの分別をしないので注意したら、何でうちのゴミを見てるんだ、って怒鳴られたというものです。A子さんが注目される存在だったのは間違いないと思います」(前出・地元の住人)
かつて兼重氏は、ビッグモーターの前身となるもの以外にも、会社を設立しており、頻繁に名称を変更していた。「有限会社ビッグボデー」「有限会社ブックセンタービッグ」といったものだ。
“ビッグ”という言葉にこだわりを持ち、巨大企業や巨大な邸宅をつくることに成功した兼重氏とA子さんだったが、晩節をけがしてしまった印象は否めない。