■空手の「押忍」は尊敬・感謝・忍耐。心地よかった“人のために”という考え
イザベルさんは’80年1月26日生まれ、フランス・ナンジ市出身。銀行員の父(71)、縫製工場の作業員の母(69)のあいだに生まれた長女で、上に兄(45)がいる。
「ナンジ市は現在人口約8千人、当時は7千人程度でした。パリから1時間ほど離れた、いわゆるベッドタウンです」
兄の稽古についていって空手に出合った。
「子供心に、見たことのない動きが『カッコイイ』と思いました」
中学生ごろからグングン上達。高校2年生のとき、フランス全国大会団体戦形で3位に輝いた。学業も優秀で、高校から予備学校を経て、日本の大学院修士課程にあたるストラスブール・ビジネススクールへと進学。
「このスクールで、日本に留学した人が『素晴らしい国だった』と目を輝かせていたのを見て、さらに日本に憧れました」
’02年10月、22歳で初来日して、京都大学で学ぶことに。「修学院離宮の隣にある外国人だけの寮に入りました。日本には興味を持ち続けていましたが、言葉も文化もよくわからない。どうすればいいかを考えることで、挑戦だらけの楽しい毎日になりました」
母国で成績を上げていた空手は京都産業大学空手道部で継続した。OBの荒賀龍太郎さん(33・現監督)が’21年東京五輪75キロ超級銅メダルに輝くなど、名門だ。
同部でイザベルさんと知り合い、親友となった日本空手協会指導員の志水亮介さん(43)が当時を振り返る。
「未知の国に来て、しかも空手を習う。イザベルのやっていることは一足飛びどころか二足飛びくらいすごいことに映りました。
日本独特の協調性を学び、周囲に溶け込む努力が必要ですからね。でもイザベルは打ち解けるのが早かった。人の輪の中にどんどん入り、よくしゃべり、よく笑う女性でした」
一度帰国したがインターンとして再来日。アルバイトなども経験後、東京のコンサルティング会社に契約社員として就職することになる。
なぜ彼女は日本で就職することにしたのだろう。
「フランスではデモやストライキが盛んですが、みんなのためのストではなく、自分の都合だけでやっているように思えました。ストをするのは給与や権利が守られている交通機関などの社員で、本当に生活に困っている人は交通が止まれば、仕事に行けなくなってしまいます」
日本人の考え方は、彼女の目に真逆に映ったのだという。
「日本人は、なにをするにもまず、『人に迷惑をかけない』を優先します。自己主張することよりルールを守る。ラッシュ時の駅のホームでキレイに整列しているのも、スゴイと……」
空手で使う「押忍(オス)」という言葉は、尊敬・感謝・忍耐を意味するともいわれているのだ。日本で知った押忍の精神は、彼女には心地のよいものだった。そんな生活にすっかりなじんだ’11年3月11日、彼女の人生を変える出来事が起きる。
(取材・文:鈴木利宗)