家業のホタテ漁を手伝うイザベルさん(撮影:夛留見彩) 画像を見る

【前編】「日本人は『人に迷惑をかけない』を優先します」フランス出身女性・佐々木イザベルさんが日本での就職を選んだ理由より続く

 

ルネサンス期を代表する画家・ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』。愛の女神の誕生シーンを描いた歴史に残る名作だが、大きなホタテ貝とともに描かれており、ホタテ貝は豊穣の象徴だという。自然や心の豊かさを求めて、フランスから日本にやってきた佐々木イザベルさん(43)。東日本大震災がきっかけとなり、岩手県大船渡市に移住した彼女は、この地で思いがけず“愛”とも出会うことになったーー。

 

その日の午後、イザベルさんは東京・六本木の超高層ビル33階にいた。

 

「ビルは振り子のように揺れ、『これ以上傾くと倒れる』というところで戻る……。それがグルグル回り続けているようでした」

 

イザベルさんは「迷うことなく、ボランティアを志願した」と話す。

 

「家が津波にのまれて流されていく映像には、悲しくて涙が出ました。被災地に入ったら、私の悲しい気持ちはどうなっちゃうんだろうとも思ったけれど、現地の情報を集めました」

 

被災地に入ったのは4月末。大船渡市にベースキャンプを張っていたアメリカのボランティア団体「オールハンズ」が「日本在住で日本語と英語が話せて体力のある人」を求めていることを知った。初来日から9年、空手の稽古も続けていた彼女は、うってつけだ。

 

「大船渡に入ったら、建物の外壁に津波の跡がラインのようについていました。家の中のがれきを片付けようとしても、電柱や木が絡まっていたり、2階の屋根とバルコニーのあいだに車がはさまっていたり……。『どうしたらこんなになるの?』という場面をたくさん見ました」

 

床下に入り込んだ泥を抜く作業では、「ほふく前進して」床下に入ったという。

 

「腐って膨らんでいる魚の死骸が破裂したときの臭いは、『二度と魚は食べない!』と思うほどでした。それでも『なにかお手伝いできることはありませんか?』と、訪ねて回りました」

 

このような思いまでして、なぜ異国の被災地でボランティアを続けられたのだろうかー。そう問うと、目を見開いて答えた。

 

「海外では災害などで困った地域にボランティアに行くのは当然のことです。私は日本で10年近くお世話になっていたから、ごく当然のこと。でも、そんな私でも不思議なのは、海外から日本に、なんの縁もないのにボランティアにやってくる人がいたこと。一度母国に帰ってから、仕事を辞めて、また来日する人もいました。上には上がいると思えたのも、続けた理由として大きいかもしれません」

 

ボランティアとしての活動を’11年11月まで大船渡で続けた。一方、仕事はIT会社勤務を経て’12年6月から大手製薬会社で人材育成を担当。エリートとして慌ただしい日々を過ごしていたが、徐々に違和感を覚えたという。

 

「育ったナンジ市は住宅街でしたし、東京はさらに自然とかけ離れており、都会生活を窮屈に感じるようになりました。大船渡は自然が多く、海も山もあった。『眠らない街は、私には合わない。大船渡の大自然のほうがいい』と思ったのです」

 

’19年5月、大船渡市職員に採用され、「地域おこし協力隊」の活動を始めることに。それと同時に「地域に根差す」ために市内の一軒家を購入した。さらにその2年後の’21年4月に観光全般を請け負う個人事業「いざ♡大船渡」を立ち上げたのである。

 

「ボランティアでは、がれき撤去の仕事が多かったのですが、本音では『地域復興』に役立ちたいと思っていました。一時的な貢献ではなく、一歩踏み込んで、被災地域の行く末も考えて、活気ある町にしたい、と。

 

自然豊かな大船渡は、観光地としての可能性があります。観光客が来てくれて、地元にお金が落ちれば、“持続可能な町”になれるはずです」

 

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