“バズる大使”レジャバさん『ドラゴンボール』に『ドンキーコング』など、日本文化で感性を育んだ少年時代
画像を見る キッコーマンでおもてなし文化を習得したというレジャバさん(写真:本人提供)

 

■「大統領を接待するときにも、キッコーマンでの経験が役立っているんです」

 

大学生活はつつがなく送ったが、就職活動でつまずいてしまった。

 

「何社か連続で落ちたことが、ものすごくストレスで、自分のすべてが否定されている気分に。心にダメージを負いました……」

 

そんなとき、たまたま「キッコーマン」が外国人を募集しており「なんとか拾ってくれた」そうだが、レジャバさんは社会に出るのが怖くて、明るい未来を描くことができなかった。

 

営業部門に配属されるも、当然のことながら、新入社員に大事な仕事は任されない。

 

「任されないのだから、やる意味を感じられなかったんです」

 

仕事はさっぱりだったが、レジャバさんに自身の強みを見いだすきっかけが訪れた。

 

「春闘の待機時間に新人が余興をするのが習わしで、私が台本を作って、衣装も用意して劇をやったんですね。それがウケたことで自分は社内の余興ではアピールできる存在だと思ったんです」

 

日本ならではの商習慣や接待文化を学ぶのも楽しかった。

 

「エレベーターに乗るときの順番、車では誰がどこの座席に座るのか、お祝いをいただいたら半返しをする、どのタイミングでお礼状を書くのかなどを学びました。接待のときは相手に失礼がないよう、何度もお店に足を運んで打ち合わせをするんです」

 

こうした日本の“おもてなし”が、思わぬ武器になった。

 

「退職される人の送別会を仕切ったとき、その人は仕事では一度も褒めてくれなかったのに、『本当にありがとう!』って驚くほど喜んでくれたんです。

 

いま大使となって大統領や首相を接待するときにも、キッコーマンでの経験がものすごく役立っているんです」

 

宴会では大活躍だったが、仕事ではなかなか将来像を描けず、入社3年で退職を決意した。当時、経済成長が始まったジョージアで再起を図るために帰国。その直後、たまたま訪れたレストランで、のちに結婚するアナさんに出会った。

 

「高校時代にジョージアに帰国したときに通っていたアメリカンスクールのクラスメートだったんです。第一印象ですか? まあ、別にあまりなかったんですが、あちらは私に気があったみたいで(笑)、ときどき連絡を取り合っていたんです」

 

レジャバさんとアナさんが、ジョージアでは初めてとなるスーパーマーケットのオンラインデリバリーサービス事業を始めたころから、交際も始まった。

 

「結婚を意識する年齢でしたし、母ががんを患って体調を悪くしていたので、“家庭を築く姿を見てもらいたい”という思いもあって結婚しました。いちばん上の子が生まれるまで母は頑張ってくれました。孫の顔を見ても、話すことはできませんでしたが、心の中ではすごく喜んでくれたと思います」

 

ちょうどその前のことだったが、レジャバさんのもとにジョージアの外務大臣から連絡が入った。

 

「何だろうと緊張したんですが、大使就任の打診でした。ジョージアは日本やアジアとの関係強化を図っていて、日本との関わりが深い人材を探していたんです」

 

当然、迷いもあった。妻との事業の業績は伸びていたし、子どもも生まれたばかりで、母国での生活は楽しかったから。

 

「そのとき、たまたま元首相と会う機会があって『あなたは得意分野を伸ばしていくべき。日本との関係が深いのだから、それを強みにしたらいいじゃないか』というアドバイスを受けたんです。妻も『ジョージアに残るにしても、日本に行くにしても、あなたが好きなようにしなさい』と後押ししてくれたんですね」

 

’19年8月、駐日特命全権公使兼臨時代理大使という大役を背負い、レジャバさんは、また日本の地を踏む決心をしたのだった。

 

【後編】“バズる大使”レジャバさん「皇室の方々とお会いして感じるのは奥ゆかしさと品格」“日本文化大好き”の理由を明かしたへ続く

 

(取材・文:小野建史)

 

次ページ >【写真あり】取材の合間にもXに投稿していたレジャバさん

【関連画像】

関連カテゴリー: