■物を言えない人の代わりに物を言う
鴨志田さんは、子供のころから障がいのある人や在日韓国人・朝鮮人への差別や偏見を目の当たりにしてきた。
「極めつきは、私が高校生のときでした。父親が亡くなった後に、父の義兄がハンセン病の療養所にいたことを初めて知ったのです。父からは、伯父は早くに亡くなったと聞いていたので、本当に驚き、ショックを受けました。
父は自分の妻や娘にも、身内にハンセン病の患者がいることを言えないまま亡くなったのです。当時、それほど凄まじい差別があったのだと実感させられました。
そういう経験から、私は“物言えぬ人の代わりに物を言う”弁護士になろうと思ったのです」
40歳を過ぎてから弁護士になった鴨志田さん。ライフワークとしている再審法改正が実現すれば、自分が弁護士になった意味が十分にあったのではないかと感じている。だから、何としても法改正をするまでは、やめるわけにはいかないと強い覚悟を持っているのだ。
「日本の再審法のルーツはドイツです。そのドイツでは検察官の不服申し立ては立法で禁止しています。本家はもうやめているのに、日本はまだこんな制度を残したままです。
再審が認められても、検察官が不服申し立てをすることで、いたずらに時間をかけるだけ。すぐにでも法改正をしないと、また次の犠牲者が生まれてしまいます」
再審法は、大正時代からの規定がほとんどそのままスライドしてきており、すでに100年変わっていないそうだ。
「私が三淵さんのことを敬愛しているのは、“女性初”だからでも“女性の代弁者”だからでもありません。救うべき弱者を現状の法制度が救えないのなら、その法制度を変える。それを実現するために闘い続けた、彼女の“ヒューマニズム”に強く共感するからです」
ベレー帽はその象徴なのだ!
【PROFILE】
かもしだ・ゆみ
早稲田大学法学部卒業、司法修習57期。2007~2015年、鹿児島家庭裁判所家事調停委員、鹿児島地方・簡易裁判所民事調停委員。2021年、京都弁護士会に移籍、2022年、Kollect京都法律事務所設立。現在、日本弁護士連合会再審法改正実現本部本部長代行