泉房穂「政治家に向いていない」7歳年下妻が語る明石市長当選から暴言辞任まで
画像を見る 「ただの変なオッサンですわ」と自らを語るが、笑顔でしゃべりまくっては、まわりを明るくすることにたけている(撮影:加治屋誠)

 

’19年1月、泉が全国版のニュースになった。明石駅近くの道路拡張工事を巡って、立ち退き交渉をしていた市の職員に対して泉が放った「火をつけて捕まってこい。燃やしてしまえ」という発言がメディアに流されたのだ。

 

「私を失脚させるために、ずっと隠し録りされていたんです。その発言は長い打ち合わせのなかの一コマで、怒鳴られた職員本人もパワハラと受け止めていなかった。でも被害者がいないとはいえ、発言自体はセンセーショナルな内容で、市役所への抗議の電話が鳴りやまない状況となりました」

 

妻からの「もう辞めたら」というひと言で、すぐに辞任を決意。辞任会見の前にはこんなやりとりがあったという。

 

「会見では、弁明と思われてもいいから言いたいことをまくし立てるつもりでした。でも家を出ようとしたときに、当時中学3年生だった娘に『わたし、学校ですごく嫌な思いをしてるの』と言われたんです。そして『辞めるんだったら、みっともない言い訳なんか絶対にしないで』と。私は、世のため人のためにと市民のほうだけを向いて頑張ってきたつもりだけど、家族にはあまり目を向けていなかったんですね」

 

泉が市長の座を辞した直後から、子育て中の母親たちが中心となり、出直し選挙への立候補を求めて署名活動が繰り広げられた。手厚い子育て支援を続けてほしいと市民が熱望したのだ。

 

「集まった5千筆の署名のなかには『たとえ立候補しなくてもありがとうだけは伝えたい』など泣けるセリフが並んでいました。胸を打たれて、妻に『出直し選挙に立候補したい』と相談すると、家族会議で多数決をとることに。家族の前で頭を下げたら、妻は即行で反対を表明。小学校5年生の息子は『僕は出てほしい』と賛成にまわってくれた。娘はどうするかなと思ったら『私、白票でいい』と。これで立候補が許されたのです」

 

出直し選挙となった’19年3月の市長選挙では、相手候補にトリプルスコアとなる7割の得票を得て圧勝。市長に返り咲いた。

 

’23年に市長の座を降りるまで、子育て費用の無償化以外にも養育費の立て替え、障害者配慮条例、高校進学のための給付型奨学金・無料学習支援、ジェンダー平等条例など数々の実績を残した。

 

「私が行った政策の大半は妻からのアドバイスです。私が自信をもってやったといえるのは、12月28日までだったゴミの収集を31日までにしたことぐらいかな。家ではゴミ出し当番で、年末の大掃除のあとのゴミを家に残したまま年を越すのが嫌だった。それで市長になってすぐ、大みそかまでゴミ収集をするよう決めたんです。これ以外のほとんどは、妻と話したことを私が形にしただけ。妻と結婚していなかったら、それこそ10歳のときの誓いは形にもなっていません」

 

泉が市長を辞めて1年以上が過ぎた。再び洋子さんに語ってもらおう。

 

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