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「あなたも、しんどいことがあったら連絡してくださいね」

 

穏やかな口ぶりで、本誌記者に語りかける伸子さん。放火事件で兄を亡くした過去を持つ。「なぜこんな目に」。自らを襲った不条理に苦しんだ。

 

そんな彼女は、1年前から僧侶となるための修行を始めた。自らもやり場のない悩みや怒りを抱えたからこそ、人々の心に寄り添える。

 

晴れやかな表情を浮かべるようになるまでの道のりとは──。

 

奈良県大和高田市にある「ワンネス財団」の会議室で、20代の青年がとつとつと自身の胸のうちを話し始めた。伸子さん(47)はうつむきがちな青年の目を見つめ、彼の話に真剣に耳を傾けた。

 

「彼は母親がある事件で亡くなり、犯人も死亡。怒りの矛先を失って、荒れた時期があったようです。怒りが高じて自傷することもあれば、犯人の家族に仕返ししようと考えてしまったりと、怒りが収まらない自分自身に苦しんでいるようでした」(伸子さん)

 

「ワンネス財団」は、社会から孤立しがちな元受刑者や、精神疾患・依存症などで生きづらさを抱えた人の“生き直し”を支援する専門機関だ。

 

伸子さんは今年2月から月2回ほどのペースでここを訪れ、入所者との対話を続けている。

 

青年の話をじっくりと聞いてから、伸子さんはこう語りかけた。

 

「その腹立たしさ、これから一生、抱えていくの? それって、しんどくない? そんな怒り、持ち続けなくてもいいんですよ。もったいなくないですか? あなたの人生、これからなのに」

 

青年は拍子抜けしたように、きょとんとした顔をした。

 

「どんな人生を生きるのか。あなたは選べるんです。もちろん、悲しみや憎しみを持ち続けていてもいいですよ。でもね、憎しみを持たない人生だって選べるんです」

 

伸子さんはさらに続ける。

 

「私も兄を亡くし、犯人も死亡しました。でも、被害者遺族として怒りや悲しみを持ち続けても兄は帰ってこないんですよ。だから、怒りを持ち続けるのはやめて、“被害者遺族”から抜けたんです」

 

たしかに伸子さんは、被害者遺族という言葉から連想される暗さとは無縁の人だ。明るい笑顔と相手を包み込む優しいまなざしに、自然と心がほどけていく。

 

青年は顔を上げた。

 

「大丈夫ですよ。自分を否定するのはもうやめましょう。あなたはあなたが選んだ生き方を生きればいいんですから。大丈夫ですよ」

 

伸子さんがくり返す「大丈夫」の声に、青年の表情はすっかり柔らかくなっていた。

 

「今日は話してよかったです。ここの人たちにも言えずにいたことまで話せて、なんだかとてもスッキリしました。ありがとうございました。またお願いします」

 

同じ経験を持つ者同士だからこそ通じ合う思いもある。

 

2年半前の12月17日、大阪・北新地の心療内科クリニック放火事件はいまも記憶に新しい。

 

伸子さんは、現場となったクリニックの院長・西澤弘太郎さん(享年49)の妹なのだ。

 

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