■事件から2年半。僧侶を目指した修行を開始
同じころ、伸子さんは仏教を学びたいと思うようになっていた。
「心に寄り添うって仏教と一緒だなぁと思ったんです。私は神道の勉強もしていたのですが、仏教的な考え方からもアプローチできれば、より相手に寄り添うこともできる。そんな引き出しを増やしたかったんです。それに、得度したという肩書があれば、皆さんもっと安心して話してくれるんじゃないかと思って」
昨年6月、伸子さんは奈良県の生蓮寺で修行を始めた。月1回、寺へ行き、住職からお経の唱え方や仏前での作法などを教わった。
同年12月4日に得度式。これで正式に仏門に入ったということになる。
得度式では法衣を着て、住職からは「奏蓮」という法名を授けられた。
「身の引き締まる思いでした」
兄の命日でもある12月17日には、事件現場に出向いた。
「それまでクリニックがあった場所には、行くことができませんでした。まして命日でもある事件の日に足を運ぶなんてとてもできなかったのですが、得度したことが力になって、現場でお経を上げることができました。兄にも得度したよと報告しました」
警察やマスコミに囲まれ、落ち着かなかった葬儀から2年。兄の冥福を心から祈る伸子さんの読経が、師走の空に響き渡った。
「昨年末、妻の得度のニュースが流れたとき、『奥さん、大丈夫なん?』と、連絡をくれる友達が大勢いたんです」
と、冗談めかして話すのは、伸子さんのご主人だ。
「つらい事件だったので、妻はそれを苦にして、家庭も仕事も何もかも捨ててお坊さんになるのでは? と、皆、心配になったみたいで。そんなことは全然ないんですけどね」
ご主人と伸子さんは大学の同級生で歯科医。夫婦で歯科医院を始め、2人の男の子に恵まれた。
「事件後、妻はいろいろ思ってもみなかったことを始めていますね。
でも、反対はしません。昔から、自分がやると言ったらやる人です。そもそも妻は、もともと困っている人をほっとけない、人に寄り添ってあげたい性格でしたから」
ただ、事件前後で伸子さんが大きく変わった部分もあるという。
「以前の妻は心配性で、万が一を思って悪いほうに考えるたちでした。病気のときも、いろいろ調べては最悪の場合を想定して落ち込んでいた。
ところが、事件が起きてからの妻は驚くほどポジティブ。本来楽天家だと思っていた私のほうが事件を引きずっていて、ときどき気持ちが沈んでしまうこともあるんです」
それが一般的な被害者遺族の心境というものだろう。
「でも、家族のなかで彼女だけが“被害者遺族”ではなく、前向きにどんどん前に進んでいく。そんなふうに見えています」
ご主人の言葉を伸子さんに伝えると、苦笑しながらこう言った。
「たしかにかつての私は不安性で、息子の受験に執着したり、友人とのささいな行き違いにイライラしたりとストレスをためがちでした。
病気をしたとき、そういう私の不安や怒りが体に出たんだと、すごく感じたんですね。
やっぱり執着したらダメなんです。執着を外して『もういいわ』『なるようにしかならんわ』って思えたとき、すべてが好転していった。そういう実感があるんです」