地雷犠牲者への“整体”で向き合った人間の尊厳…18回の国際救護活動に従事した看護師・髙原美貴さんが明かす「極限状態の救護」
画像を見る 髙原さんの“本来の職場”として勤務する姫路赤十字病院では、看護副部長としてのデスクワークが主な仕事だという(撮影:馬詰雅浩)

 

■雅子さまの温かな視線に新たな勇気が。次の世代に伝えていく「看護」の意味

 

海外派遣を両親に伝えるのは、いつも直前になってから。遺書と貯金通帳と判子をお菓子の缶に入れて、母親に預けて出かけていく。

 

「やはり母が心配して泣いてしまうので……。遺書は最近、更新していませんが、『やりたいことをやって、幸せな奴だったと思ってください』というような内容です。母は『友達とは仲ようしいよ。変な水、飲んだらあかんよ』と、いつも送り出してくれます」

 

親不孝と思いつつ、常にそこまでの覚悟を持って派遣任務に就いている。髙原さんはそれを「当たり前のこと」と言い切り、「表彰には値しない」と言い続けてきた。そんな髙原さんの背中を押して、フローレンス・ナイチンゲール記章の候補者に推薦したのは、高校時代からの親友・駒田香苗さん(59、姫路赤十字病院看護部長)だった。

 

「髙原さんに話せば、必ず断ってくるとわかっていたので、いかに内緒にしたまま、事を進めるかが大変でした。ところが、派遣先の活動については髙原さんから詳しく聞き取らなくてはならなくて。声をかけても、2~3回は逃げられていましたね(笑)」

 

渋々ながらも答えてくれた髙原さんの体験談は、駒田さんにとっても新鮮で衝撃的だった。

 

「髙原さんは命の危機にさらされた話を面白おかしく話してくれました。あえてそう装った部分もあるのでしょう。紛争地への赴任も、彼女にとっては当たり前のことのようでした。

 

昔から物欲とか、自分のためということとは無縁な人。専門学校時代から、彼女の部屋にはぬいぐるみが1つあるだけでした。シンプルそのものだったのです」

 

駒田さんら看護師仲間の願いがかなって受章が決まったとき、髙原さんはシリアにいた。

 

「LINEのメッセージで受章決定を伝えると、2日後くらいにペコッとお辞儀するクマのスタンプだけが返信されてきました。とても髙原さんらしいと思いました」

 

昨年の授与式後。懇談の場で雅子さまとお話しになるなかで、こんな話題があったという。

 

「ICRCの英語を話す方ばかりのテーブルだったため、皇后さまは自然に英語でお話しになっておられました。

 

『赤十字の看護師は強い』『赤十字の教育が看護師を強くするんです』と話が広がったとき、皇后さまはとても深くうなずかれ、『そうですよね』と。このときだけは日本語でおっしゃったんです」

 

髙原さんへの言葉だったのだろう。注がれた雅子さまの温かな視線に新たな勇気が湧いてきた。

 

「名誉総裁である皇后さまからもお言葉をいただきましたから、引き続き強く生きたいと思います」

 

今後の課題は次の世代を育てること。未来を見据えてこう言った。

 

「看護の『看』は、しっかり見るということ。日本の看護師はプロ意識が高く、人を見る目、人と人をつなぐ力には自信を持っていいと思います。若い人たちには、日本とまったく違う世界があることを知って、世界の多様性を認められる看護師になってほしいと思っています」

 

(取材:川嵜兼暁/文:川上典子)

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