「(児童虐待防止対策については)受け身ではなくこちらからも気づけるような体制を、できる限り早い段階から必要な支援を届けていくことを進めたい」
10月2日、就任会見でそう語ったのは、三原じゅん子こども政策担当相(60)。’10年に参議院議員選挙で初当選してから14年、ついに初入閣を果たしたのだ。
政治評論家の有馬晴海さんはこう語る。
「ネームバリューのある三原さんをなんらかの大臣ポストに就けたらどうかという声は、以前から自民党内にありました。’19年にも安倍政権下で入閣が検討されたこともあります。今回の初入閣については、菅義偉副総裁の後押しがあったと思われます」
三原氏は’19年6月の参院本会議で、当時の安倍晋三首相に問責決議案を提出した野党へ、反対討論で「愚か者の所業。恥を知りなさい」と言い放ったことも話題になった。
彼女の“気の強さ”はアイドル時代から評判だったという。老舗芸能事務所「サンミュージック」に所属していたカメラマンのYAHIMONときはるさんはこう証言する。
「’80年、桜田淳子さんがパーソナリティを務めていたラジオ番組『セイ!ヤング』の生放送現場に私も立ち会ったことがありました。ゲストは淳子さんのサンミュージックの後輩、松田聖子さんでした。放送中に淳子さんが突然声を詰まらせて、こう語り始めたのです。
『聖子ちゃんと同じくらい活躍している女性歌手がいるんだけど、さっき(ラジオ局で)聖子ちゃんが挨拶をしたら、知らんぷりで……。私が(女性歌手に)「なんで挨拶をしないの?」って聞いたら、「(聖子が)嫌いだから」って……』
“女性歌手”の言動に、かなりショックを受けたようで淳子さんは泣き出してしまい、聖子さんもいっしょに泣いていました。その“女性歌手”が三原じゅん子さんだったのです」
当時、“MM旋風”という言葉があったように、聖子と三原氏はライバル関係と目されていた。
「その後、ある女優さんから、じゅん子さんが“挨拶をしない理由”を聞く機会がありました。女優さんに尋ねられたじゅん子さんは、『ツッパリのイメージを守るために、“挨拶をしてはいけない”と、事務所の社長に言われているから』と答えたそうです」(前出・YAHIMONさん)
ツッパリながらわが道を歩み続けた三原氏。そのための人間関係の悪化は、芸能界の中だけにとどまらなかった。