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「せめて年末までには『アナペイン』の供給を一部でも再開していただかないと、患者さんに手術の日程の変更をお願いするような事態になりかねません……」

 

そう明かすのは、国立がん研究センター中央病院薬剤部長の橋本浩伸さんだ。アナペインは、手術部位の痛みを麻痺させる局所麻酔の一種。胃や大腸、婦人科系など、おもに下半身にできるがん等の手術で幅広く使用されている。ほかに、無痛分娩や帝王切開などの際にも欠かせない麻酔薬だ。販売しているのは、国内ではジェネリック医薬品の外資系メーカー、サンド株式会社のみ。

 

同社によると、「日本法人の合併に伴い、これまで海外で製造していた拠点を国内へ移す際に設備の不具合が発生した」という。6月から限定出荷が続いていたが、8月には供給がほぼストップ。再開の見込みは立っておらず「一日も早く通常出荷を再開できるよう鋭意取り組んでいる」とのこと。

 

ここ数年、感冒薬や解熱剤、漢方薬にいたるまで深刻な“薬不足”が続いている。厚生労働省が発表している「医療用医薬品出荷供給状況」によれば、10月1日時点で約3千600もの医薬品が「出荷調整」や「出荷停止」状態にある。なぜ、こんな事態になったのか。

 

「発端は、’20年末に発覚した後発医薬品メーカーの不祥事です。これを機に、薬事法で定める製造手順を遵守していない後発医薬品メーカーが続々と明らかに。業務停止や出荷停止が相次ぎ、後発薬がたちまち供給不足になりました。それが今も尾を引いているのです」

 

そう解説するのは、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広さん。それから4年がたっても、事態は改善に向かうどころか、麻酔薬すら枯渇する事態を招いている。現場の逼迫度も深刻だ。

 

「当院では、月に約30件あるがん手術でアナペインを使っていましたが、現在はポプスカインという麻酔薬に切り替えて対応しています。しかし、こちらも品薄の状態。麻酔薬をムダにしないため、1本を2つの注射器に分けて無菌状態に保ち、2人の患者さんが使用できるようにするなどしてなんとかしのいでいる状態です」(前出の橋本さん)

 

代用できる局所麻酔薬が豊富にあればよいが、「同じ局所麻酔でも、副作用や効果が異なるため代替も難しい」と語るのは、昭和大学歯科病院の西村晶子准教授。根の深い親知らずの抜歯や、顎の骨を削る際などにアナペインを使用するという。

 

「アナペインは4~5時間効き目が持続し、ほかの麻酔薬に比べ心臓などへの負担が少ないのが利点です。現在、歯科ではキシロカインという局所麻酔で代用しているのですが、こちらは2時間くらいしか効果が持ちません」

 

麻酔が切れた後は、痛み止めや点滴で補っているものの、アナペイン使用時に比べると痛みを感じてしまうケースもあるという。こうした供給困難な状態になることを見越し、日本麻酔科学会は今年6月に声明を発表。帝王切開や無痛分娩など、全身麻酔を回避すべき理由がある症例に優先して局所麻酔を使用するよう求めていた。ところが、優先されるはずの産婦人科でも薬不足は深刻だ。

 

無痛分娩を行っているレディスクリニック・セントセシリア(青森県青森市)の院長・上田克文さんは「当院ではアナペインを使い切り、ポプスカインも品薄のため、代替薬マーカインを海外から調達して使用している」と明かす。しかし、こんな懸念も――。

 

「麻酔薬がコロコロ変わることにより、治療にあたるスタッフが混乱して、投与ミスなどが起きないか、という心配があります」

 

同院ではナースセンターに薬の調整法を大きく貼り出し、ダブルチェックをしてミスのないよう十分注意して対応しているという。現場で涙ぐましい努力が続いているいっぽうで、医薬品の安定供給を所管している厚生労働省は、いたってのんきだ。本誌が担当部署に尋ねると、次のような回答が。

 

「この状況はわれわれとしても深刻に捉えています。注視しておくくらいしかできないのが、われわれとしてももどかしいところです」

 

加えて厚労省からは、こんな情報も得られた。

 

「アナペインの後発医薬品が薬事承認されたと聞いているので、そちらの流通がいつごろ開始されるかも注視しております」

 

現在、薬価を決める手続きを行っているため、「後発薬の供給時期はいまのところ未定」だという。供給停止が解消されなければ、患者の容体によっては1カ月単位でのがん手術の延期、また親知らずの抜歯などの手術がずるずる後回しに……、ということになりかねない。アナペイン以外の局所麻酔薬も「限定出荷」が多出しているので、いずれほかの疾患の治療にも波及してくる可能性もある。

 

いったい、なぜこんなにも医薬品不足が長引いているのか。前出の上さんは次のように指摘する。

 

「根本原因は、海外と異なり政府が薬価を決定し、さらには後発薬のパッケージの記載方法まで指定していることです。これが海外企業の参入も阻んできました」

 

厚労省は当初、国内の小規模メーカーも参入できるよう、海外の後発薬に比べて薬価を高く設定し、メーカーを手厚く保護してきたという。

 

「しかし数年前から急激に薬価抑制を進めたため、メーカーは採算がとれなくなった。製造不正もそれが一因です」(上さん)

 

本来、後発薬はグローバル規模で薄利多売しなければ採算がとれない。それにもかかわらず、厚労省が薬価を決めていることが国内メーカーの競争力の低下を招いた、と上さんは指摘する。

 

「この体制を改めない限り、薬不足は解消されないでしょう」

 

多くの患者の命を左右する薬の供給不足。国は注視するだけでなく、具体的な打開策を見いだしてほしいものだ。

 

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