■「握る人の気持ちや生き方が、そのまま詰まっているのがおにぎりなんです」
おにぎりに人生をかけてきた右近さんだが、2年ほど前、駅前の再開発の話もあり、70歳を機に引退することも考えたという。
そんなとき豊島区の取り組みの一環で、“町からなくしてはならないもの”をリスト化したとき、ぼんごの名が挙がったのだ。
「私を育ててくれた町や、お客さんへの恩返しをしたいという思いで、長年勤める従業員に『あなたの人生をあと10年だけください』と土下座して頼みました。そうして、お店を近くに移転する決意をしたんです」
店舗が移転しても、おにぎりを素手で丁寧に握ることは変わっていない。それはお客さんとの信頼関係があってはじめて成り立つ。
「東京五輪のときなど保健所がやってきて、ビニール手袋をして握るよう促されたんですね。でもそれではおにぎりの本質的な部分を十分に伝えられない。
うちのおにぎりを食べて、故郷の母を思い出して涙を流される方もいます。握る人が食べる人と信頼関係を結べなければ、それはぼんごのおにぎりとは言えません。感謝や応援……、握る人の気持ちや生き方が、そのまま詰まっているのがおにぎりなんです」
ぼんごのおにぎりは、特別な味付けをしているわけではない。それでも次々にお客が来るのは、味以上のぬくもりを求めにやってくるからなのだ。
「それに、おにぎりは10本の指や手のひら、くぼみをすべて使って、握ります。手袋をしたら繊細な動きができないんです」
右近さんはふと自らの両手を広げてじっと見つめる。
「人差し指の第一関節がぽっこりふくらんでいて、私の手は不格好なんですよ。私よりも手がきれいな人ばかりで、コンプレックスがあった時期もあります。でもいまではそんな不格好な手も“誰よりもおにぎりを握ってきた勲章”だと感じています」
新店舗には、祐さんが作った看板、まな板、カウンターなどもそのまま移設した。
「私には子供がいないので、店の終わり方をどうするかはいまだに悩むところです。でも、ぼんごから巣立った弟子たちが新たに店舗を構えたり、ドイツやタンザニアでおにぎり屋をオープンする挑戦したりしています。一番大事にしているぼんごの“心”が、こうして受け継がれていくことほどうれしいことはありません。
私自身も、超えられるかはわかりませんが、これからも母の作ったおにぎりを目指し続けたいです」
寿司がSUSHIとして世界で愛されているように、右近さんが握り続けるぼんごのおにぎりもONIGIRIとして世界に響き渡っていく――。
(取材・文:小野建史)