■『ドラゴン桜』に自分の姿が重ねて…東大合格が目標に
香理さんが新しい道を歩み始める一方で、允翼さんの症状は進行していった。次第に握力が弱まり、鉛筆を握れなくなった。体を支える筋力も、日に日に弱くなっていった。それでも、できる限り学校に通い、介助員に代筆してもらってテストを受けた。成績はいつもトップクラスだった。
だが、「学校にはなじめなかった」と、允翼さんは振り返る。
「小学校低学年のころ、工夫しながら友達と外で遊ぶこともありました。しかし、高学年になると、まわりの友達は自転車で遠出するようになって、なかなか遊べなくなった。中学の友達は結局1人だけでした。僕も心に鍵がかかるようになった」
進学し勉強を続けることだけが希望になった。
「『ここから抜け出したい』という思いがありました。あるとき、『ドラゴン桜』というドラマを見て。中学くらいのときかな。『東大に入れば、何かを変えられる』と思ったんです」
学校の“はみだし者”たちがカリスマ教師に導かれ、東京大学を受験する──。学校になじめない生徒たちの姿が自分に重なった。
しかし、高校受験でどうしようもない壁にぶち当たる。“前例がない”ことを理由に、介助員の代筆による入試を、多くの高校で断られたのだ。当初、千葉県内の公立高校も対応に難色を示していたが、筑波大学附属高校(東京都文京区)が対応に応じてくれたことで風向きが変わった。代筆と試験時間の延長が認められた。
筑波大学附属高校は不合格だったが、後期試験で千葉県立船橋高校に合格した。「絶対に諦めない」と高熱を押しての受験だった。
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