【中編】『ドラゴン桜』が道しるべだった…「寝たきり」の東大生・愼允翼さん明かす壮絶だった受験勉強より続く
脊髄性筋萎縮症(SMA)という遺伝性疾患のために、指先などを除いて体をほとんど動かせない愼允翼(シン・ユニ)さん。允翼は初めて「寝たきり」で、東京大学に合格し、東大生となった。現在は、修士課程に在籍する愼允翼さんと、母の張香理(チャン・ヒャンリ)さんにこれまでの道のりを聞いた。
■いつか私たちがいなくなっても允翼が生きていけるように
厳しい受験勉強を乗り越え、東京大学合格を果たした愼允翼さん。1~2年生のころは、毎朝、自宅から駒場キャンパスまで母に送迎してもらっていた。
しかし、允翼さんの人生の次なるステージに進むタイミングは近づいていた。3年生に上がり、東京都目黒区にある駒場キャンパスから、文京区にある本郷キャンパスに移るタイミングで、允翼さんは一人暮らしをすることにしたのだ。香理さんはこう語る。
「彼が幼いころから夫と『私たちはいつまで付き添えるのだろう』と話していました。いつか私たちがいなくなっても允翼が生きていけるように、その前に自立させることは目標でした。家を出る前夜、家族みなで行きつけのレストランで別れのパーティもやりました」
生まれたときから、常に一緒にいるのがあたり前だったわが子。允翼さんが出ていった夜、息子がいないことを痛感した。
「目がさえて、全然眠ることができなかったんです」
香理さんはおよそ20年にわたり、3時間以上続けて眠ったことがなかった。允翼さんは寝返りができないので、毎晩2~3時間ごとに体位変換する必要があったからだ。
「いまは5~6時間は続けて眠れます。そうなるまで、とても時間がかかりました」
一方、允翼さんは、寮生活を経て24時間3交代制で代わる代わる訪れるヘルパーの助けを借り、本郷キャンパスの近くで、一人暮らしを始めた。大学では気の置けない友人が見つかった。酒を飲みすぎて後悔したり、気になる女性とデートする楽しみも知った。
香理さんの人生もまた次なるステージに進むときだった。2018年、突然の転機が訪れる。
「同業の友人から『東大病院で遺伝カウンセラーの募集をしているから。允翼くんが通学しているのだからあなたも応募しては』と勧められたんです」
思い切って応募すると、見事採用された。50歳を目前にして、常勤で働くのは初めてだった。遺伝医療に対応していく時代のニーズの高まりもあったが、非常勤時代から、学会やセミナーなどで積極的に発表し、クライエントに寄り添ってきた成果でもあった。
「私、思い切り働いていいの? って、半信半疑でした」