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「このまま外科医が減り続け、かつ医療体制の改善が進まなければ、多くの患者さんのがん手術に支障が出る事態にもなりかねません」

 

自治医科大学医学部外科学講座主任教授(消化器一般移植外科部門)の佐田尚宏さんは、そう危機感をあらわにする。

 

現在、日本では、さまざまな手術や救急医療を担う外科医師の数が減少し続けている。厚生労働省の統計によると、医師の数は’02年から’22年の20年間で、26万2千687人から34万3千275人へと約8万人増加しているいっぽうで、外科医の数は2万3千868人から1万2千775人と、じつに約1万人も減少しているのだ。

 

なかでも、胃や大腸、すい臓、肝臓など腹部のがんや救急疾患に幅広く対応する“消化器外科”の減少は深刻だ。大阪医科薬科大学助教で消化器外科の河野恵美子さんも、現在の危機的状況を次のように指摘する。

 

「’02年を1として、’22年と比較した場合、呼吸器外科は2.07%増、心臓血管外科も1.29%増と、わずかながら増えていますが、消化器外科は0.79%とひとり負け状態です。消化器外科学会の会員年齢も、60歳以上がもっとも多く、高齢化が進んでいます」

 

今年に入り、消化器外科学会はウェブサイトで、《消化器外科医の数は10年後には現在の4分の3に、20年後には現在の半分にまで減少する》と警鐘を鳴らしている。

 

というのも、外科医の減少により、救急対応も困難になるからだ。

 

「消化器外科は、がんだけでなく、虫垂炎(盲腸)や腹膜炎、腸閉塞など急を要する手術にも対応しています。たとえば“時間が勝負”の急性腹症(大腸の壁が裂けて、おなかの中に便が漏れてしまう重度の腹膜炎など)になった場合、外科医不足で受け入れ先がないと対処が遅れ、いままで助かっていた命が助からないという可能性も生じます」(河野さん)

 

前出の佐田さんは、「地方の医療過疎地では、外科医が確保できず、すでに外科診療をやめる病院も出てきている」と、こう続ける。

 

「大学病院は地域の病院に医師を派遣していますが、外科医不足から派遣が困難になっているケースもあると聞いています。うちの大学からも、毎年地域の病院に外科医を派遣していますが、ここ数年、当校の外科講座に入局する初期研修医が減少しています。毎年、一定数確保しつづけないと、いずれ外科医の派遣が難しくなります」

 

そうなった場合、不利益を被るのは患者だ。がんに関して言えば、「手術が2~3カ月待ちになると、確実に予後が悪くなる」と、佐田さんは懸念する。

 

現在、日本における新規のがん患者の数は年に100万人を超え、高齢社会が進むなか、その数は増加傾向にある。すでに医療現場で直面している問題も――。

 

「私の専門は“すい臓”ですが、すい臓がんは手術で治癒切除できる割合が24%と、もっとも低い厄介ながんです。これを、治癒切除率が70~80%の胃がんや大腸がんに近づけるには、早期発見・術前治療をより推進し、現在の3倍手術を行う必要があります。

 

しかし、現在の外科医数では到底この数の手術に対応できません」(佐田さん)

 

ひと昔前までは、“神の手”などともてはやされ、医療の花形だった外科医。なぜ、これほど不人気になってしまったのか――。前出の河野さんは、「指導医になるまでに時間がかかることや、救急対応が多いにもかかわらず給与が他科の医師と変わらないことなどにも原因がある」としたうえで、「最大の要因は、外科医の過重労働にある」と、解説する。

 

「これまで日本の医療は“医師の長時間労働”によって支えられてきました。過去に厚生労働省が実施した調査では、勤務医の約4割が過労死ライン(月80時間・年960時間)を超えて働いていたことが指摘されています。特に外科は労働環境が厳しく、“主治医”が全責任を負って、24時間365日患者に対応すべき、という倫理観があったのです」

 

プライベートを犠牲にして働く外科医の献身に支えられてきたわけだが、最近は、若手医師の仕事観が大きく変化。ワークライフバランス”や待遇を重視するにあたり、外科は敬遠されてしまうのだ。

 

「最近は“直美”といって、2年間の初期研修を終えたあと、後期研修を経ることなく、すぐ自由診療の美容クリニックに入職する医師が増えて問題になっているほどです」(河野さん)

 

日本医学会連合によれば、“直美”を選ぶ若手医師は’23年度で約200人にのぼり、これは医学部2つ分に相当する数だという。

 

このような診療科の偏りを是正するため、厚生労働省も動きだしているが、医療現場でも改善のための努力が広がっている。

 

「以前は、一人の主治医が、患者の術前検査から、手術、術後の管理や化学療法、終末医療まですべてに関わっていましたが、現在は、検査は消化器内科、化学療法は臨床腫瘍科、終末医療は緩和ケア科、というように分業し、外科医が手術と周術期管理に専念できるようにしています」(佐田さん)

 

加えて、手術に関してもチーム制を導入している。

 

「最初から最後まで一人の執刀医が行うのではなく、臓器を取るのはA医師、おなかを閉じるのはB医師というようにチームを組んで分業します。こうしたチーム制を導入することで、主治医の負担を軽減するとともに、質の担保も可能になるのです」(佐田さん)

 

ただし、外科医数が少ないなかで医療の質を保つには、「患者やご家族の理解と協力が不可欠です」と、前出の河野さん。

 

「手術の説明で、ご家族に来院をお願いする際、『仕事があるから夜7時以降にしてほしい』などと夜間の対応を求められることもあります。また、休暇を取得した医師に対する『患者が大変なときにリフレッシュするとは何事だ!』というSNS上の書き込みを目にすることもあります。お気持ちはわかりますが、医師も休みが必要です。ぜひ、外科医の過酷な状況も理解していただきたい」

 

がん手術3カ月待ち、などという事態を招かないためにも、私たち患者の立場からも、医療環境を理解することから始めたい。

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