「そもそも女性を採用していない」桜蔭→東大の“宇宙リケジョ”笠間縁さんがぶつかった“就職の壁”
画像を見る 「だいち4号」の模型と笠間縁さん(撮影:加治屋誠)

 

■『大草原の小さな家』で、かき立てられた想像力「宇宙には何があるんだろうか」

 

笠間縁さんは、会社員の父・諭さん、母・里美さん、3歳年下の妹の4人家族で、埼玉県新座市に育った。

 

「母が漢字一文字にこだわっていたようで、私は縁(ゆかり)、妹は環(たまき)と名付けられました。周りと協調して、つながりを持ってほしいとの思いがあったのでしょう」

 

教育熱心な母は、習い事にも挑戦させてくれた。

 

「音大出身の母からは、直接、ピアノを習っていました。けっこうスパルタで、母は台所で料理をしていても、私の演奏にミスがあれば『そこ、違う』と指摘し、やり直しになるのです」

 

母は同時に、笠間さんの興味を深める応援もしてくれた。小学3~4年生ごろに星が好きになった娘のために、池袋にあるプラネタリウムに連れていってくれたり、図鑑や星座早見盤を買ってくれたりしたという。

 

NHKで放送されていたアメリカのドラマ『大草原の小さな家』で、星空の上には別世界があり、その別世界の床の穴から漏れる光が星の輝きだと語るシーンがあって、“宇宙には何があるんだろうか”と想像力をかき立てられたのです」

 

日本でも屈指の進学校である桜蔭中学校に進学した直後の’86年、ハレーが地球に最接近したことが話題となった。

 

誕生日プレゼントの望遠鏡を持って、富士山の五合目まで連れていってもらいました。富士山からは天の川もきれいに見えるので、星空のなかからワクワクしながらハレー彗星を探しました」

 

星空への憧れが、理系女子、いわゆるリケジョの素養を育んだ。

 

「中2のときには超新星爆発がニュースに。星が1つ増えたことに興味を持ち、東京大学天文学科の教授による講演会を聞きました。そのときから“宇宙を学べる大学に進みたい”と考えるようになったんです」

 

笠間さんが進学した東京大学には天文学科や地球惑星物理学科などがあったが、広い分野が学べる物理学科へ進んだ。

 

「大学では天文部に所属しました。文化祭では自作のプラネタリウムを半年くらいかけて作るのが伝統で、木製のフレームにビニールシートを張ってドームを作ったり、プラネタリウムの機械も、電気回路などから作成したりしました。部活動を通して、ものづくりの楽しさを知ったのです」

 

名前のとおり、さまざまな縁がつながり、彼女の世界が広がっていったのだった。

 

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