■「そもそも女性を採用していない」……狭すぎた人工衛星製作メーカー就職の門
「大学院で所属していた研究室では宇宙でX線を検出して天体観測をする装置作りに関わりました。人工衛星に装置を積み、宇宙に飛ばすのですが、世界初のデータとなるため、周囲の期待も大きかったんです」
装置を積んだロケットの打ち上げを見届けるため、研究室のメンバーと共に鹿児島県を訪れた。
だがロケットは打ち上がったものの、いつまでたってもアンテナは、衛星からの信号を受信できず、クルクルと回ったまま……。
「周囲のメンバーも、期待が不安へ、そして最後には落胆に変わっていって……。どうやら地球を4分の1周ほどしたあと、太平洋に落ちてしまったようです。人生で初めての挫折でした。
装置によって得られたデータで論文を書く予定だったので“この先、どうしよう”という不安も大きかったですね」
当てが外れてしまった研究室のメンバーは、新たなテーマを探すことになったが、すでに打ち上げられている人工衛星のデータは研究し尽くされてしまっている。
「そんなとき、指導教授が『太陽には、まだ解析されてないデータが眠っている』とアドバイスをしてくださり、通信障害を引き起こす太陽フレアの研究に転向したんです」
笠間さんは研究分野を変更せざるをえなかったことをきっかけに研究者としての将来を考え直し、就職を考え始めたという。
そんなとき「太陽を観測する人工衛星を三菱電機が打ち上げるらしい」という話を聞きつけたのだった。
「自分が研究を続けるのではなく、学生に研究の材料を提供できる立場はどうだろうかと。私が作った人工衛星のデータで、研究者が新たな発見をしてくれれば、やりがいになると思ったんです」
卒業論文の準備と並行して始めた就職活動では、人工衛星技術のあるメーカーなどを受けた。
だが当時は博士課程まで修了した女性は“扱いづらい”と捉えられていた。たとえばある大手電機メーカーでは「そもそも女性を採用していない」「研究の道に進むつもりじゃなかったのか? なぜ民間のメーカーに?」といった反応で、人工衛星関連の就職の門戸は広くはなかった。
「それでも太陽を観測する新しい衛星打ち上げ計画を進めていた三菱電機には『衛星を作りたいんです!』と訴えました。
実は三菱ではもっと大きな衛星も作っていたのですが、私が希望したのは小規模な衛星だったこともあり、『レアな分野を突いてくるね』って、面白がってくれたんですね」
(取材・文:小野建史)
【後編】「最後は神頼みなんです」人工衛星『だいち4号』開発者・笠間縁さんたちが購入した“鶴岡八幡宮の高いお札”へ続く
