《「2人目の妊娠を諦めなければならない」会見から2カ月》福間香奈女流五冠「弁護士の先生からは『覚悟が必要だ』と」「皆さんの議論が意味のあること」
画像を見る 19年4月、イベント『棋才 平成の歩』に羽生善治九段、藤井聡太七段(肩書は当時)と登場。棋界の3大スターが集結

 

■“地獄の三段リーグ”を年齢制限で退会。原因不明の体調不良に見舞われることも

 

棋士や奨励会員は、練習将棋であっても決してなれ合いでは対局をしてくれない。技術の向上を目指せる相手としか指さないのだ。

 

「甘い世界ではないですから、お願いしても断られるのが当たり前でした。それでも食いついていかなければ相手にされない。やはり女性というのもありますから」

 

奨励会には“神童”と呼ばれる子たちが全国から集まり、10~20代にかけて将棋漬けの日々を送る。6級から三段まであり、プロ四段まで上がれるのは、わずか2割弱という狭き門だ。かつては“学歴のない最高頭脳集団”とも言われたが、近年では将棋の勉強の傍らに、東大をはじめとした最難関大学に現役で合格する強者も増えている。将棋界とは、そんな世界だ。

 

「純粋に強さを求める人たちがいるのが奨励会で、その先に棋士がある。負ければ負けるほど、自分もそこを目指したい気持ちが芽生えていきました」

 

当時、女流棋士と奨励会員の重籍は認められておらず、福間は女流棋界を離れる覚悟を決める。

 

「両親からは『それだけはやめてほしい』と言われました。私の今後の生活が心配だったのでしょう。それでも奨励会一本に懸けてみたかった」

 

だが、当時の将棋連盟会長であった故・米長邦雄永世棋聖は、福間が女流棋士を辞めることに反対した。女流棋界の看板である福間がいなくなれば、棋戦のスポンサーが離れることを懸念したのだ。米長は昭和を代表する名棋士で、各界への広い交友力と強いカリスマ性を擁していた。

 

「外の個室で会長とお会いしたんです。全てを見透かされて、?は一つもつけないという圧を感じました」

 

米長は福間の決意を確認したかったのだと思われる。話し合いの結果、女流棋士を続けることになったが、奨励会との重籍が認められるように規則変更がなされた。

 

彼女のために特別な編入試験が行われ、1級での合格を果たす。米長は自らスポンサー各社に、福間が女流タイトルを持ったまま奨励会に入ることへの理解を求めたという。福間が奨励会に入ったのは19歳のときで、これは最も遅い入会にあたる。年齢規定で満21歳の誕生日までに初段に上がらなければ退会になってしまう。連盟会館の2階にある道場の片隅で、誰とも話をすることなく、来る日も来る日も一人棋書を読み、将棋とだけ向き合い続けた。

 

「そのときの私は弱すぎて、将棋一本に絞らなければ、棋士になるまでの時間がなさすぎた。誰かとご飯に行くことも、人と話すこともほとんどありませんでした」

 

孤立することがつらくなかったわけではない。ずっと人のぬくもりの中で育ってきたのだ。年末に実家に帰ると、家族と夢中でしゃべって、気づくと声がかれた。昼食時に将棋会館を出ると、近くにある大学の学生たちが楽しそうに話している。「今度どこへ行こうか?」。明るく弾んだ声が耳に入ってきた。夕方帰るときには、戸建てから食卓の香りが漂ってくる。おいしそうなだしの匂いに、ふと地元の家族の姿が浮かぶ。夏の花火大会の日には、通りに浴衣を着た人たちがあふれる。夜空を見上げるカップルたち。そんなとき、将棋会館へと急いでいる自分が、面白くなってきたという。

 

「青春している姿が羨ましくもあり、寂しくもあるけど、自分も将棋ですごく充実しているじゃないかって思えて。異質な青春ですけど大切なものです」

 

福間は入会から約2年半後に、プロへの最終関門である三段に昇った。それまでに女性で有段以上になった者はいなかった。“地獄の三段リーグ”と呼ばれる戦いは、1期が半年にわたって行われ、30人ほどの中で上位2人しかプロになることができないものだった。毎月の例会の後には、26歳の年齢制限を迎えた者たちが去っていく。

 

「スーツを着て挨拶をされる方に、かけられる言葉なんてありませんでした」

 

将棋に青春の全てを注いできた若者たち。夢破れた者たちのその後の人生はさまざまだ。福間は三段リーグを3期休場し、5期戦ったが、’18年に26歳になり、規定により退会になった。奨励会に在籍した約7年間は、原因不明の体調不良に見舞われるほど将棋に打ち込んだ時間だった。

 

元奨励会幹事の畠山鎮八段は、福間の努力を見続けてきた。

 

「奨励会で負けた後に、女流タイトル戦の前夜祭の舞台に立っていた。本来なら一人きりで悔しさに耐えているはずなのに、ファンを前に和やかな顔で挨拶をする。誰にでもできることじゃない。正直、棋士になるのは難しいかと思っていました。女流棋士と兼任でなく、奨励会一本だったら十分に可能性はあったと思います」

 

■「両親を見て自分も結婚したら子どもを持ち、こんな家庭を築きたいと思っていた」

 

それからの福間の女流棋戦での活躍は、目覚ましいものだった。

 

「退会していった方がたくさんいる中で、自分にはまだ将棋ができる道が残されている。これまで以上に真剣に向き合わなければと思いました」

 

’19年には史上初の女流六冠を達成。棋士の公式戦には女流トップも出場でき、男性若手強豪を相手に勝利を積み重ねた。’23年11月には非公式戦ではあるが、藤井聡太王位(当時八冠)に勝利する快挙を遂げた。この対局は王位・女流王位を主宰する新聞社の記念対局として行われたものだ。時間のハンデが藤井にはあったが、史上最強の棋士に勝ったことは福間の実力の高さを示した。

 

「私のほうが持ち時間の長い対局ではありましたが、藤井さんとは実力差がある中で勝つことができ、純粋にうれしかった。感想戦では読みの量が桁違いで、あらためてすごさを痛感しましたけれども」

 

【後編】「今の夫でなければ厳しかった」福間香奈女流五冠「同じ勝負の世界で生きてきた」夫への感謝へ続く

 

(取材・文・撮影:野澤亘伸)

 

【PROFILE】

野澤亘伸

1968年、栃木県出身 上智大学法学部法律学科卒。1993年より『FLASH』の専属カメラマンになる。その後フリーとして雑誌表紙やグラビア写真集を多数撮影。アフリカ、中南米、東南アジアなどの海外取材も多い。2018年に将棋棋士の師弟をテーマとしたノンフィクションを上梓し、第31回将棋ペンクラブ大賞受賞。シリーズ三作目となる『師弟 棋士の見る夢』が4月22日に光文社より発売予定。

 

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