■「将棋は私の人生そのもの」出雲のイナズマと呼ばれ、16歳で初の女流タイトルを獲得
「どうしたら将棋が強くなれますか?」
8歳の少女が真剣なまなざしでそう尋ねてきた。将棋棋士とファンの交流が行われているイベント会場でのことだ。高橋和女流三段は、身をかがめて目を合わせると、「詰将を毎日解くといいよ」と答えて約束の指切りを交わした。
詰将棋は基礎力を養う問題で、数学の難問を解くように根気がいる。少女は学校から帰ると、必ず問題集と向き合った。10問解き終わるまでは、決して寝なかったという。半年後、高橋のもとに手紙が届く。
「将棋の大会で優勝しました。詰将棋毎日解いています」
後に史上初の女流棋士六冠を達成する福間香奈の幼き日のことだ。この4年後、彼女は12歳6カ月で女流プロデビューを果たす。攻めの鋭さから“出雲のイナズマ”と呼ばれ、16歳で初の女流タイトルを獲得した。
「将棋は私の人生そのもの」
地元のテレビ局の取材に、そう答えた。福間は’92年に島根県出雲市に生まれた。兄が父親に将棋を教わっている姿を見ていたら、「私もやりたくなった」。5歳のときだった。
「まだネットが発達する前でしたから、地方では将棋を勉強できる環境はかなり少なかった。
周りは男の子ばかりでしたが、兄が一緒にいてくれたことや負けず嫌いだったから続けてこられたと思います」
小学5年のときアマ女王戦で優勝。6年生でかつて羽生善治九段(55)らも出場した小学生将棋名人戦でベスト8に入る。この年に女流棋士を目指すために研修会に入り早くも中学1年でプロデビューを果たした。史上3番目の若さで女流タイトルの一つ「倉敷藤花」を獲得したときは、新たなスターの誕生に将棋界は沸いた。誰もが彼女の順風満帆な未来を疑わなかった。
転機が訪れたのは、高校2年のときだった。関西将棋会館にある棋士室に、ふらっと立ち寄った。そこでは棋士の育成機関である奨励会員が集まって、技術を磨くための練習将棋を指している。
「扉を開くと、秒読みの時計音が鳴り響いていました。感想戦をする声真剣で大きく、怖かった。奥のほうでは年配の先生方が話し込んでいて、自分の居場所なんてないと感じました」
同じ将棋界でも、“女流棋士”とは全く別世界だった。年配の棋士が福間に気づいて、「指してみるか?」と声をかけてくれた。奨励会1級の男性と盤を挟んで向かい合う。相手のほうが年上だ。奨励会員はまだプロではないが、ほとんどの女流棋士よりも強いことは知っている。(私がどれくらいの棋力なのか試されている)持ち前の負けず嫌いがグッと頭をもたげた。
しかし、残酷なほどに実力差を見せつけられる。全く歯が立たず負かされた。(この程度なのか)という空気がその場を包んだ。
「悔しかった。自分が情けなくて、もっと強くなりたいと思った」
