国内
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和歌山カレー事件 『保険金詐欺で8億円金が入った』
2009/05/02 00:00これでは誰だって金の感覚が麻痺するに違いない。そしてその後、この夫婦は問題の保険金詐欺へと突っ走るのである。健治さんによると、やっているときは、まさか逮捕されるとは思いもしなかったそうだ。「保険金詐欺で僕が立件されたのが1億5千万円ですが、トータルで8億円ぐらいの金が入りました」なぜそんなに儲かっていたのに、保険金詐欺を続けたのか。「こんな言い方は悪いけど、1つのゲーム感覚になるんですよ。やってい -
和歌山カレー事件 『毎日麻雀大会、競輪では最高3千700円勝ったことも』
2009/05/01 00:00≪ギャンブル三昧、保険金詐欺で荒稼ぎ…金にまみれた滅茶苦茶な生活から、逮捕、収監、死刑判決まで“林家の大人たち”の 波乱万丈10年史―――≫● 毎日麻雀大会、競輪では最高3千700万円勝ったことも「麻雀を始めたのが35歳ぐらいからです。寝なくても全然平気で、そのまま仕事に行ってましたよ。メンバーはざっと40人ぐらいいた。最初の頃は白蟻駆除の仕事で、月に300~400万円の収入があって、麻雀で月10 -
和歌山カレー事件 『母のために志望校に見事合格!!』
2009/04/30 00:00眞須美被告は、逮捕以前まで子供たちには複数の習い事に通わせるなど、教育に力を注いでいたという。幸子さんの高校受験では、当初受験する予定だった学校名を伝えたところ、難色を示したそうだ。「最初に行こうとした学校を伝えたら嫌がりました。お母さんはもっとレベルが上の高校に行ってほしいようでした。それでおもいきって志望校を○○高校にすると言ったら、すごく喜んでくれたので、なんとか合格しようと心に決めました。 -
「いつもビリだった翔子がトップになっちゃったね」 障害を持つ教え子の新たな夢
2009/04/30 00:00具体的な目標としては、翔子さんと、障害を持つ教え子たちの作品展を2010年に開催したい。「十数年、ずっと頑張っていてなかなかよい字を書ける生徒たちが何人もいるので、ぜひ立派な作品を作ってお披露目してあげたいのです」障害者の地道な努力にも花を咲かせてあげたい。また翔子さんのことを知って、遠くから通って来る生徒も増えたので、展覧会が励みになり、もっと力が発揮できたらという狙いもある。「障害があっても諦 -
「願いごとは、お母様の笑顔」 精一杯希望を持って進むこと、誰かの希望に…
2009/04/29 00:00「お母様にいつも笑っていて欲しいんです」 翔子さんに「願いごとは?」と尋ねたとき、すかさずそう答えてくれた。翔子さんは、珍しいくらい母思いなのだ。「私はお母様の係なの」といって、よく世話を焼いている。泰子さんは朝、翔子さんの「お母様起きて」の声で起床。すでに翔子さんが朝食の支度を整えているという。泰子さんのベッドメーキングも翔子さんの係だ。掃除も洗濯も、手なれたもの。夜、9時に書道教室を終えて、ダ -
和歌山カレー事件 『一審で死刑判決……7年ぶりの母との再会で全身が震えた』
2009/04/29 00:00'98年10月に逮捕されてから、接見解除になるまで約7年。利勝さんは高校3年生、幸子さんは小学校5年生になっていた。「7年ぶりだったので、他人と会うような感覚でしたね。だからお母さんという感じがしなかった。再会したときは敬語でしたから(笑)、お母さんは僕らの顔を見た瞬間に泣いてましたね。僕は涙を堪えました。ただ、震えが止まりませんでしたね。待合室の時点から、ずっと震えてました。そのときは、お母さん -
和歌山カレー事件 事件の概要
2009/04/28 00:00'98年7月25日 和歌山市園部の夏祭り会場でカレーライスを食べた人々が激しい吐き気と腹痛に襲われ、自治会長の谷中孝寿さんら4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒となる大惨事が起きた。当初は集団食中毒とされたが、次に青酸化合物の混入、最後にヒ素中毒と断定された。捜査段階で、元生命保険会社営業職員・林眞須美(現被告、当時・37歳)を巡る、多額の保険金詐欺疑惑が浮上。その後連日マスコミが自宅を取り囲み、彼女 -
「心の中で謝り続ける母の思い」翔子がこの世に生まれてすぐに見た世界は私の泣き顔
2009/04/28 00:00翔子さんの才能は、この母親泰子さんなくして花開くことはなかっただろう。思い立ったら、夜中まで書に没頭することができる環境にあり、師にも恵まれた。「環境は大切だと思いますが、書は別格として翔子はいろいろなりたいものがコロコロ変わるのですよ」と泰子さん。「お料理が好きで、本当はコックさんにもなりたかったけれど、いまはお医者さんになりたい」という翔子さん。その真意を正すと、「お母様の耳(泰子さんは突発性 -
和歌山カレー事件 『恋愛はしたくない。結婚なんて今はまったく考えていない』
2009/04/27 00:00「高校時代に何回かデートはしましたが、恋愛まではいかなかった。今も彼女はいません。どうしても自分からちょっと引いちゃう部分があるんです。結婚?まったく考えたこともないですね。将来はどうなるかわかりませんが、施設に入っていた子で、両親がいない人となら結婚できるかなと思っています」利勝さんはあの逮捕劇以来、男女を問わずどこかで壁を作ってしまうという。もしバレたらこの子はどう変わってしまうのかを考えてし -
「ちゃんと座ってね。こう書くの!いい?」書を指導する翔子、先生としての横顔
2009/04/27 00:00これだけ忙しくしていては、書道の練習はほんのわずか?と思われるがそうでもない。 個展や、頼まれた作品があれば、朝から黙々と書く。「いまでも『まだそんな線を書いて!』なんていって気合いが入っていないと、私が怒って、手が出ることさえあるんですよ。自分の子供だからここまで厳しくなってしまうのです」 と泰子さん。傍らの翔子さんはもう慣れているといった風で、動じることはない。叱られるばかりではない。翔子さん -
「お母様、愛してる、お仕事がんばってね」翔子さんの頭の中には愛情がいっぱい
2009/04/26 00:00「子供を確実にダメにしたいなら構いすぎればいい」 何かの本で読んだこの言葉を戒めとし、できるだけ翔子さんを自立させたいと考えている泰子さん。幼いころから、「ダウン症だからできない」という枠にはめず、いろんなことに挑戦させたので、翔子さんは実に好奇心旺盛で、趣味や特技は多彩。そしてとっても神出鬼没な女性なのだ。ある週のスケジュールは、●月曜、太極拳、バレエ●火曜、書道の本部 泰書會●水曜、パソコン教 -
和歌山カレー事件 『死刑囚の子供! とヤジが飛んだ屈辱のバスケ試合』
2009/04/25 00:00利勝さんは高校時代、バスケットボール部に所属。2年生のときにはキャプテンを務めた。バスケ部に入った理由は「施設に帰る時間をちょっとでも遅らせたかったから」。後に報道されたが、当時施設で働く女性職員からセクハラを受けていたことが大きな理由だったという。「高校に入ってからは友達ができました。カレー事件のことは隠していましたので、一般の子供と同じように普通にしゃべってきてくれました。ただ、施設に入ってい -
「アキラ君とは結婚する。同じ髪型にするの」自分の心が好きであれば相手も同じよう
2009/04/25 00:00そんな翔子さんの恋心に接して、泰子さんが思い当たったことが華厳経の『唯心経』。百字心経の中に“心が全てを決める”という教えが凝縮されている、世界一美しいといわれる経典である。この数年、楷書で写経に精を出している泰子さんは、翔子さんの恋をこう解釈する。「恋なんて実態がなくて、いつも不安で脆くて危ういものです。けれど翔子の恋心は自分の心が好きであれば相手も同じように好きでいてくれる、という、心が全てを -
和歌山カレー事件 『まるで犯罪者のように扱われた施設での日々』
2009/04/24 00:00施設に入る前までは、外で自由に遊ぶことが大好きだった利勝さん。とくに釣りが好きで、友達としょっちゅう海釣りに行っていたそうだ。しかし、施設で生活するようになってからは、一切外に出れない生活となった。「日も浴びないという生活が2カ月続き、ちょっと性格的に暗くなりましたね。園部にいたころはけっこう太っていたんですけど、精神的なストレスで10㌔以上激ヤセしました。2つ目の施設に移ってからは、さらに暗くな -
「翔子さんの恋心」 駅まで一緒に行ったよね。2人で雨に濡れちゃったでしょう…
2009/04/24 00:00学歴社会の中、試験を受けたこともなく、試されることもなければ、人を試すこともない。競争社会の中、偉い人におもねることも、卑下することも、見下すこともない。憎むことも妬むこともない。この社会環境の中にあって、それは奇跡的なことでもある、泰子さんは「翔子が奇跡的な存在なのではなく、障害児ゆえに奇跡的な環境で育った存在」という。泰子さんは多くのことを翔子さんの心のありようから学んだともいう。たとえば翔子 -
和歌山カレー事件 『施設に入った子どもたち…いじめは毎日にように続いた』
2009/04/23 00:00利勝さんによれば、施設に入った当初は、いつ家に帰れるのかと、施設の職員に対して、来る日も来る日も責めるように質問を続けたそうだ。「食事がカレーの日があるんです。そしたら、『林君、いただきますの挨拶をしてくれるかなあ』みたいな、わざとらしいこともさせられましたね。それで僕が言った途端にみんなが拍手する。年上の子供たちからの暴力的ないじめは毎日のように続きました。2人のお姉ちゃんもずいぶんいじめられた -
「いまどこ?パチンコ?」 厳しくもユーモアあふれる名門柳田流にて修行中
2009/04/23 00:00200年続いた名門柳田流は、楷書を極め、その頂点に達した流派であるといわれる。 柳田流の楷書の世界は、千300年以上昔の中国、唐の時代に書かれた古典中の古典である欧陽詢(557-841)の名筆を手本に、ひたすら本物の書に近づけ、その真髄を伝承する書法であるだけに、教室でのやりとりは厳しい。『三星在天』この日の題目について柳田氏が問う。「天はなに? 天ぷらの天ですか?」「天使の天です」すかさず、翔子 -
和歌山カレー事件 『逮捕から7年間、母親と会えなくなった子供たち』
2009/04/22 00:00「朝の六時ぐらいでした。突然警察がドカドカと部屋の中に入って来ました。僕は女の警官に起こされて、その後パッと窓を開けたらフラッシュの嵐…。警官に窓を『開けるな!』と言われた直後、『2週間分の着替えの用意を急いでしろ』と。もう何が何だかわからないまま、下着類をバッグに詰め込みました。ただその時は、とりあえず2週間したら元の生活に戻れるだろうと思っていたのですが、釣り竿をもった瞬間に『もう二度と釣りは -
第16回 「教室へ行く道は遠い」柳田流への入門、平坦ではなかった書家としての道
2009/04/22 00:00二十歳の個展以降、翔子さんは月に3回、柳田泰山氏の主催する『泰書會』で指導を受けはじめた。 自宅から電車を2回乗り換えて、片道50分ほど。日本橋の本部まで一人で通い、3年になる。「柳田流は先代からの筆法に惹かれ独身時代から入門していたのですが。精密の極みともいえる、どんなに崩しても崩れない美しさがあり、翔子には一から習得させたいと思いました。特に翔子が行きたくない、とか辛いと言ったことは一度もない -
和歌山カレー事件で家族が崩壊 『すべてはあの逮捕劇から始まった』
2009/04/21 00:00本日4月21日15時、最高裁3小法廷は、あの“平成の毒婦”と呼ばれた林眞須美被告(47)に死刑判決を下した。死者4人、63人が急性ヒ素中毒となった『和歌山カレー事件』。一審、二審ともに死刑。が、動機不明、直接証拠もいっさいないという矛盾も指摘されていただけに、司法の最高機関が下す判決に大きな注目が集まっていたが、林眞澄美被告側の上告を棄却。死刑が確定した。事件当時、彼女には同時に詐欺容疑で逮捕され -
「翔子さんの中に生き続ける父」病気で亡くなってしまったお父様と、毎晩お話を…
2009/04/21 00:00「私がテレビに? 新聞に?」と戸惑いもあったが、元来、環境に惑わされない純粋な翔子さんは、どんなに周りが騒がしくなろうとも無心、無欲で書を書き続けている。「書くことは楽しいし嬉しい。書いていると、お母様がすごく怒って、私が泣いたりすることもあります。そんなときは、お父様に『お母様を叱って』とお願いするんです」という翔子さん。 彼女にとって、裕さんの死は解っているが、同時に翔子さんの中に「お父様」は -
「ダウン症で日本一の書家に」父との約束を果たし、初の個展を開催…
2009/04/20 00:002人の約束だった「二十歳の個展開催」は遺言となってしまった。そうなると何がなんでも開催だけはしなくては、という使命が泰子さんを突き動かしていた。「このときは生涯1回限りだと思っていたのです。ならば書家の憧れである『銀座書廊』でやってみようということにもなりました」2005年12月、『翔子・その書の世界」を開催。書廊始まって以来の2千人を超える来訪者数を記録した。併せて日比谷帝国ホテルにて、初の席上 -
「最愛の父の死」 二十歳になったら個展を開く、それが父との約束だった
2009/04/19 00:00「翔子が二十歳になったら個展を開いてあげたいね」 裕さんの発案、それがいつのころからか夫婦の約束になっていた。 親戚の方とか、お世話になったのに疎遠になってしまっている友人・知人たちに翔子がダウン症であることを誰に知らせたか、わからなくなっていたのです。ダウン症で生まれた翔子がこれだけ成長しました、ご心配かけましたが二十歳になりましたというご挨拶も兼ねて、開いてあげようね、と」 二十歳のお披露目。 -
「飛翔って何?大空にこうやって羽ばたくのよ」母は抽象概念を、体験から学ばせた
2009/04/18 00:001日1枚のペースで4日で1組が完成していく。泰子さんは菜箸を持ち、それで白紙上に字の位置を示しながら、翔子さんの隣に座り続けた。叱ってはまた泣き、休憩し、また書き続ける。そのうち、一つ一つの文字としてはアンバランスではあっても、ひと塊で見ると、一種、凄味さえある作品が生まれようとしていることに泰子さんは気づいていた。般若心経を書くには、楷書の基本となる右肩上がりを理解させなくてはならない。しかし、 -
「涙の般若心教」 ポロポロ涙をこぼし、一行目を書き終えて母に伝えた思いとは…
2009/04/17 00:0008年の年末、東京松坂屋銀座店で開かれた翔子さんの個展では、10歳にして書かれたこの作品は来場者を圧倒するに十分だった。完成までの背景から、涙の般若心経とも評されるーー。「まだ十歳で、しかも知的障害を持つ翔子には無謀とも思えましたが、これくらいのことをしなければ、私たちは心の持って行き場がなかったのです」 泰子さんが、何枚もの半切(画線紙)に銀色の罫線を引いた。それを「翔子のために、夕べ遅くまでか