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「デビュー曲の『LOVE YOU ONLY』が1位をとらなかったんですよ。その後もなかなか1位にはならなかったので、デビューできた喜びはあったんですけど、上にはSMAPがいて、すぐ下のV6、KinKi Kidsは1位をとっていて、その間に挟まれていたんで、どうしようっていう焦りしかなくて」

 

そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第56回のゲスト、TOKIOの国分太一さん(41)。帯番組『白熱ライブ ビビット』(TBS系)でMCを務めるほか、レギュラー番組を多数かかえる多忙な国分さんの過去から現在までに迫ります。

 

中山「TOKIOはもう20年以上ですか」

 

国分「’94年にCDデビューしました。事務所に入ったのは13歳、中学生でしたね」

 

中山「ということは、ジャニーズJr.時代も?」

 

国分「中学1年のときに、光GENJIのバックダンサーをやっていました。当時、SMAPがまだデビュー前で、メンバーの誰かが修学旅行に行くときに、僕が代打で雑誌の取材を受けたり(笑)。僕とV6の坂本(昌行)くんはSMAPとして雑誌に出たことがあるんですよ」

 

中山「すごい時代があったんですね」

 

国分「その後、光GENJIの『剣の舞』という曲で、『平家派』というバックダンサーができるんですよ。そこになんとか入って」

 

中山「いろんなグループを渡り歩いていると」

 

国分「これでいつかデビューできるだろう、と思っていたら、平家派は自然消滅でなくなっていっちゃったんですね。大人数だったんですけど、そのときから一緒にやっていたのが、リーダー(城島茂)、山口(達也)くん、坂本くん、長野(博)くん、イノッチ(井ノ原快彦)で」

 

中山「意外なつながりですね」

 

国分「平家派がなくなると、仕事も減っていって。当時Jr.の中で『終わった』という言葉が流行したくらいです」

 

中山「それがまだ10代?」

 

国分「15歳でしたね。そうしたら、中村繁之さんのミュージカルで、初めてTOKIOというグループが結成されたんです。まだリーダーと松岡(昌宏)と僕しかいなくて」

 

中山「そこから始まっていく」

 

国分「それがなかなか(笑)。舞台が終わると1カ月仕事がなくて、雑誌の取材があればいいほうという感じだったんです。それで、『繁之さんの付き人になりなさい』って言われたんですよ」

 

中山「シゲの付き人を?」

 

国分「台本持ったりとか朝起こしたり。16歳のとき、20日間くらいだったと思います。繁之さんからはいろいろ教えていただきましたし、スタッフの方に『お前えらいな』『絶対役立つからな』と声をかけていただけたのもうれしかったです」

 

中山「いい経験だったと思います」

 

国分「そこから、いまのメンバーがそろって、バラエティ番組やドラマにも少しずつ出させてもらったりする中で、僕が20歳のときに、CDデビューできたんですよ」