「皆様へ。3月21日。私の父、太田三郎が死去いたしました。社交的で人を笑わせることが好きな父でした……」
父の死の2日後、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光(46)はこうコメントした。父・三郎さんは3月19日に埼玉県内の病院で死去。死因は急性循環不全、享年83だった。太田は仕事のため父の最期を看取ることはできなかったという。埼玉県内にある太田の実家を訪ねると、彼の母が対応してくれた。
「最初に主人が入院してから1年半にわたる闘病生活でしたが、光は暇を見つけては見舞いに来てくれていました。主人はすでに意識はありませんでしたから、最後の言葉はありませんでした。でもたった一人の息子ですから、やっぱり、光のことは最後まで気にかけていたと思います」
本業のお笑い以外にも、小説を書くなど多才な面を見せている太田。父の三郎さんも建築士の仕事のほかにも、多芸だったそうだ。
「焼き肉チェーン店の『叙々苑』の、最初に六本木にできた店舗を設計したのは主人なんです。書道にも打ち込んでいて、『叙々苑』の看板の文字も主人が書いたものなんです。若いころは趣味で小説を書いたりしていましたし、落語が大好きな人でした」
文学とお笑いに興味があるというところなど、2人は”似た者父子”だったようだ。太田の母は最後に、三郎さんのこだわりでつけられたという息子の名前『光』の由来についてこうは話してくれた。
「英語の”ライト”つまり正しいという意味と、明るいという意味を重ねて、ライトという名前にしたかったようなのです。でも、漫才のコロムビア・トップ・ライトさんがいたので、同じ名前は避けて『光』にしたのです。息子にも光り輝いてほしいという意味も込めてね」