6月15日、オウム真理教の特別手配犯の最後の1人、高橋克也容疑者(54)が逮捕された。かつて同居を続けていた菊地直子容疑者(40)の逮捕から12日。長年、潜伏していた川崎市からひと駅しか離れていない、土地勘のある東京・蒲田のマンガ喫茶での逮捕劇だった。

川崎市内にある勤務先の建設会社社員寮から、横浜市鶴見区や、東京都大田区の個室ビデオ店を転々としていたという高橋容疑者。なぜ彼は17年間も捕まらなかったのか。捜査関係者は彼の“逃走術”についてこう語る。

「逮捕前の高橋容疑者は菊池容疑者に『仮に警察に追い込まれたとしても、絶対に遠くに逃げては駄目だ。土地勘のある場所で静かに息を潜めて時間が経過するのを待つんだ』と漏らしていたそうです」(捜査関係者)

潜伏していた川崎市、そして身柄を拘束された大田区は、彼の生まれ育った横浜市港北区の実家から近く、まさに“土地勘”のある場所だった。高橋容疑者は高等専門学校を卒業後、横浜市内の電機会社に就職。しかし、わずか1年で辞め、‘87年、オウム真理教に入信し出家信者となった。入信を知った高橋容疑者の父は息子を勘当。サリン事件の前年の‘94年、失意のうちに父は他界した。そして母親もまた昨年9月に89歳でこの世を去っている。

高橋容疑者は菊池容疑者と、‘97年ごろから川崎市内のアパートで“夫婦”として同居生活を始めていた。しかし、菊池容疑者が横浜で高橋寛人容疑者(41)と出会い同居を始め、高橋克也容疑者の元を去ってしまう。それでも彼は川崎市内を離れることはなかった。

「彼が逃亡生活を通して川崎市近辺から離れなかったのは、実家の母親の近くに少しでもいたいという思いがあったからだと指摘する捜査関係者もいます。母への思慕から、実家近くから離れて潜伏する手段を選ばなかったのでしょうね。実際、がんを患った母親は『最後にあの子に会いたい』と病床で繰り返していたそうです」(別の社会部記者)

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