“ヒゲの殿下”の愛称で親しまれた三笠宮の寛仁さまが逝去されてから100日目となる9月13日、東京都文京区の豊島岡墓地で『墓所百日祭の儀』が行われた。

参列された方々は、それぞれ思い思いに故人を偲ばれた。だが、寛仁親王妃である信子さまは今回も欠席された。信子さまは、これまで寛仁さまの葬儀関連行事にはいっさい参加されていないという。信子さまとご家族の断絶状態は、寛仁さまが逝去されたいまも続いていており、それに加え、寛仁さまが当主だった寛仁親王家では、前代未聞のお家騒動も勃発しているというのだ。

「当主が薨去してから100日もたつのに、次期当主がいまだに決まらないのです。10年前、寛仁さまの弟・憲仁さまが薨去しました。憲仁さまは高円宮家の当主でしたが、薨去から約3週間後には妻の久子さまが一代限りの当主になられたのです」(宮内庁関係者)

当主のご逝去により、その妻が宮家を継がれるのは、故・秩父宮妃勢津子さま、故・高松宮妃喜久子さまに続いて久子さまが3人目だった。戦後は、宮家に跡継ぎとなる男子皇族がいない場合、慣例で妻が当主となってきた。寛仁親王家の場合は信子さまがその立場にあたるが……。

「’04年以来8年間も信子さまは、ご体調不良を理由にいっさいのご公務や、皇室内の交際から離れられています。そのため、寛仁さまの葬儀も長女・彬子さまが喪主を務められました。宮内庁としては、信子さまのご療養が今後も続くようであれば、彬子さまに当主になっていただいても、というスタンスだったのです。未婚の女性皇族が一代限りとはいえ、宮家の当主になるのは初めてのことですが、特例として認める方向でした」(前出・宮内庁関係者)

しかし、いまだに彬子さまの当主就任は報じられていない。三笠宮家に近い人物はこう話す。

「彬子さまはオックスフォード大学で博士号を取得した才媛でもありますし、亡き寛仁さまも”彬子を跡継ぎに”とおっしゃっていたというのです。彬子さまご本人にも妹の瑶子さまにも異存はないそうですが、病気療養中の信子さまがたった一人で反対され続けているのです。ご家族で話し合いの場ももたれたと伺いましたが、意見は平行線をたどるばかりだとか……」

“夫の死にも立ち会わせてもらえなかった”、その憤りが信子さまに、娘の当主就任をかたくなに拒ませていらっしゃるのだろうか。恩讐を越えて、ご家族が和解する日は——。

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