9月15日、大阪市で行われた野外ライブのステージに立った、小田和正(65)。ゲリラ豪雨も見舞うなか、終盤に登場した小田は、総立ちの約7千人の観客に迎えられ、大ヒット曲『ラブストーリーは突然に』などを熱唱、会場はこの日いちばんの盛り上がりを見せた。

その5日後、誕生日を迎え、65歳のいまも音楽シーンの第一線を走り続ける小田だが、私生活は謎に包まれている。
「実は、お父さんが亡くなったと聞いています。コンサートのMCでオフの話題をするくらいで、私生活については触れない方なので、お父さんが亡くなったこともごく身近な人しか知らないようです」(長年のファン)

家族については、08年1月に一部報道で“実父との確執”も報じられたことがあった。その記事によると、横浜で薬局を経営する父・信次さんは、長男に薬局を継がせ、二男の小田を医者にするつもりだった。だが、小田は父の期待に背き、早大大学院を卒業するや音楽の道へ。信次さんは『何を考えているのか』と嘆いていたという。

横浜市内にある実家の『小田薬局』に行ってみると、店頭には《休業》の張り紙が。
「信次さんは、数年前に亡くなりました。薬局は数年前に閉めたっきりです。信次さんの長男が後を継いでいたんですが……
(同じ商店街の店主)

父親の信次さんは08年5月26日に94歳で亡くなっていた。秋分の日を控えた週末、実家の薬局を継いだ小田の実兄・兵馬さん(66)が、本誌の取材に応じてくれた。
「お袋が亡くなってからも、親父は逗子の家に一人暮らしをしていました。しかし、体が弱った晩年は施設に移ったんです

 急の知らせに兵馬さんが病院に駆けつけた時は、信次さんはまだ意識があったという。
「親父は病床で『和正はどこだ?』と聞くので『もうすぐ着くよ』と伝えると、父は安心したのか『そうか、それじゃあちょっと寝るわ』と言って眠りました。それが親父の最後の言葉になりました…」

当時、小田は07年に出したアルバムが史上最年長でオリコン1位を獲得。08年4月から約半年に及ぶツアーの真っ最中だった。
「その日、和正はたまたま東京にいたんです。電話すると車を飛ばしてやって来ました。
和正が病室に着いたとき、父は呼吸はしていましたが、意識はほとんどなかったと思います。ですが、和正が来たのがわかったのか一瞬、微笑んで頷いているようでした。私も和正も、親父が生きている気がして『寝てるんだろ?』と話していました。息を引き取ったのは、深夜2時になる前です。老衰でした」

 信次さんは、小田の到着を待っていたかのように、穏やかに天に召されたという。
今は天国から、愛息の伸びやかな歌声を笑顔で聴いていることだろう。

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