「33年間、大変なこともたくさんありました。正直言って、不安な日もありましたが、家族がまとまり、一門がひとつになって、ようやくこのように立派に法要ができました」『昭和の爆笑王』と呼ばれた初代・林家三平さん(享年54)の『三十三回忌法要の会』で、挨拶に立った長男・林家正蔵(49)の目は真っ赤だった。

初代三平の命日、9月20日に帝国ホテルで行われた会には、三平さんゆかりの人たちが約850人集まった。腰をかがめて歩く母・海老名香葉子さん(78)をいたわるように、その手を引いていたのは長女の美どりさん(59)だった。長年、確執が取り沙汰されてきた母と娘の仲むつまじい姿を見るのは、何年ぶりになるだろう。

「数年前までは考えられないことでした。10年前の二十三回忌は、母娘の確執がこじれ、峰竜太(60)・美どり夫妻が欠席するという異常事態でしたからね。原因は香葉子さんのいる根岸の自宅からと、海老名家がお世話になっている石原プロからの峰のダブル独立でした」(演芸関係者)

『法要の会』には、美どりさんと夫の峰、泰葉(51)、正蔵、二代目三平(41)のきょうだいが久しぶりに勢ぞろい。
「90年に神楽坂に土地を買った峰と美どりさんは、02年夏のいっ平(現・三平)の真打ち昇進イベントも『新聞で知った』と話し、10年来の母娘冷戦が噂されるようになりました。美どりさんには、無名だった峰をもり立てるという “下嶋(峰の本名)家の嫁”の意識が強く、それで香葉子さんと衝突したのだと思います」(落語関係者)

父親の法事を欠席するという異例。実は、“冷戦勃発”の背景にはこんな見方も――。
「美どりさんは、そのころ、三平さんの隠し子の存在を知ったようです。生前の三平さんに溺愛されていただけに、ショックは大きかったんでしょう。それをずっと隠してきた香葉子さんに対しても、不信感をもったようです」(海老名家の知人)

故三平師匠の隠し子騒動は、香葉子さんとの新婚時代のできことだ。
「52年4月、結婚した三平師匠と香葉子さんの新居は、4畳半が2つの部屋。しかも姑と同居でした。58年、三平さんが真打ちに昇進するまで、香葉子さんはマッチのラベル貼りなどの内職で糊口をしのいだそうです」(前出の知人)

真打ち昇進後、三平ブームがやってきたのだが・・・。
「それまでの苦労がたたって香葉子さんは過労から肺炎を患い、入退院を繰り返します。その間、三平さんは愛人を作り、子どもまでもうけていたそうなのです」(前出・知人)

愛人は、銀座7丁目のバーのホステス・Aさん。
「香葉子さんがAさんの存在を知ったとき、すでに妊娠8カ月。すったもんだはありましたが、香葉子さんは、三平さんを信じ、生まれた子どもは引き取ることにし、Aさんへの手切れ金50万円も用意したそうです」(前出・知人)

たとえ夫に裏切られても、夫を信じ、尽くすことが香葉子さんの生き方だ。香葉子さんはお腹に座布団を巻き、あたかも自分が妊娠したかのように見せかけたという。
ところが、Aさんは出産間近の59年12月、突然、アパートから姿を消したそうだ。

その子は美どりより7歳年下で、男の子だった。当時、三平師匠の構成作家を務めた三遊亭笑三師匠(86)はこう語る。
「そうですね~。そういうこともありましたかねぇ。そのことであの家はずいぶんもめましたよ」

笑三さんは、出産後のAさんとその子どもに偶然、出会ったことがあるそうだ。
「上野の松阪屋の前でしたか。小さい男の子の手を引いていた彼女とばったり会いました。4歳か5歳くらいだったでしょうなぁ。冬の寒い晩でした。向こうから声をかけてきて、『三平さんの子どもです』と、ハッキリ言っていましたね」

実際、昨年10月、二代目三平の結婚披露宴で北野武が、
「ところで、故・三平師匠の腹違いの兄弟たちは皆、元気でしょうか?」
と“祝辞”を述べていたが、まさに美どりとの20年に及ぶ冷戦が終わる契機になったのも彼の結婚だったという。

「三平が初めに佐智子さんを連れて行ったのは、美どりさんの家でした。その後、香葉子さんに会いに行った。順序が逆ですよね。でも、それが功を奏したんです。最初にフィアンセを紹介された美どりさんは悪い気がしない。苦労人の香葉子さんは、末っ子夫婦の気持ちがわかって、怒るどころか笑顔で迎えました。器が大きいといいますか、香葉子さんの胆力が発揮され、そこから長年の確執が氷解し始めたようです」(前出の知人)

隠し子騒動も乗り越え、“肝っ玉”で海老名家を支えてきた香葉子さんこそ、三平師匠亡き後の海老名家の“大黒柱”なのだろう。

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