「彼女は、私の教師生活25年で担任した生徒のなかでも別格でした。どの先生も彼女を引き受けようとしないし、同級生も怖がっていました。でも当時は極悪というほどではなかった。警察に補導されるとしても深夜徘徊くらい。彼女は孤独だったんだと思います」
兵庫県尼崎市の「連続怪死事件」の主犯格とされる角田美代子被告(64)。中3時代の担任教師によると、彼女は左官を生業とする父と内職で家計を支える母の間に生まれ育ったという。当時は父親姓の「月岡」を名乗り、木造平屋の市営住宅に両親と3人で暮らしていた。だが、彼女はそこでネグレクトに近い虐待を受けていたようだ。担任教師はこう続ける。
「月岡が『ウチのお父ちゃんはお酒が大好きで、遊郭ばっかり行って帰ってこん』と私に言うんです。父親は、家庭を顧みる人ではありませんでした。母親は月岡の子育てに匙を投げているようで、娘の深夜徘徊についても『先生、何とかしてください』と言うだけ。さらには『私が言っても聞きません。先生が怒ってください』と頼んでくる始末でした」
警察、裁判所や鑑別所の世話になることもあったが、両親が迎えに行ったことは一度もなかったようだ。
「普通は、我が子が警察の世話になったら飛んでくるものです。でもそういったことは一度もなかった。彼女は家庭の愛情に飢えていたと思います。私は何とか更生してほしくて、何度も警察や裁判所に足を運びました。自分の家に連れて帰り、女房が風呂に入れてご飯を食べさせてあげたこともあった。教師人生でそこまで面倒を見たのは月岡くらいです」
その後も家にほとんど帰らず深夜徘徊を続けた美代子被告。中学卒業から半年ほどして同級生の兄と結婚したというが、それも結局、終わりを迎えてしまった。前出の担任教師はこう悔やむ。
「今、思い浮かぶのは、“家庭の愛情”がいかに大切かということです。両親のどちらかでもちゃんとしていれば、こんな大事件には至らなかったのかもしれません。誰かひとりでもあの子を叱り続けてくれる人がいれば、誰かその芽を摘んでやれなかったのか、と残念で仕方がありません」
放任という名の“虐待”を両親から受け孤絶するなか、成人した美代子被告は周囲の家族を解体するモンスターへと成長していった――。