12月18日、市川團十郎(66)が京都・南座で出演予定だった舞台を突然休演した。発表された病状は”風邪による発熱”だったが、休演は21日現在も続いていた。

 04年に白血病と診断された團十郎はパリ公演で復帰したが翌05年に再発。07年7月には白血球の型が一致した妹から骨髄移植を受け、”闘病生活”が続いていた。
「やはり勘三郎さんを突然失ったショックと、勘九郎・七之助兄弟を後見として見守り支え続けなければならない責任が重くのしかかっていたのではないでしょうか」(舞台関係者)

 中村勘三郎さん(享年57)が亡くなった12月5日の公演後、楽屋からひとり出た團十郎は報道陣からコメントを求められると「残念です…」とだけ言い残し、足早にタクシーに乗り込んだ。そこに、悲しみの深さがうかがえた。

 勘三郎さんが命を落とすきっかけとなったのは食道がんの手術ではなく、その後患った肺炎。がん・感染症センター都立駒込病院の血液内科部長・大橋一輝先生は言う。
「團十郎さんが骨髄移植手術をしてから4年以上が経過しましたが、術後5年生存率は40歳以上で46,5%。免疫抑制剤を服用している場合、ストレスは火に油を注ぐようなもの。風邪やインフルエンザなどウイルス感染する危険性が高まります。術後10年後に白血病が再発する症例もあるので侮れません」

 倒れた日、團十郎が出演していたのは勘三郎の息子・勘九郎の襲名披露興行だった。
「團十郎さんも父親を亡くしたのは19歳のとき。それまで良くしてもらった先輩役者が掌を返し、無視されたこともあったと聞いています。だから若くして父を失った勘九郎・七之助兄弟の”将来の不安”が痛いほどわかる。《勘三郎さんのためにも、今度は自分が後ろ盾にならなければ》と誓った矢先の発熱でした」(歌舞伎関係者)

勘三郎さんはまもなく2歳になる初孫の七緒八くんの初舞台まで計画していたという。
「團十郎さんも来春の海老蔵の第2子誕生を待ち望んでいただけに”おじいちゃん”同士、孫の成長の喜びもわかち合いたかったに違いありません…」(前出・歌舞伎関係者)