昨年12月5日、急性呼吸窮迫症候群のため57歳で亡くなった歌舞伎俳優・中村勘三郎さん。27日、東京都中央区の築地本願寺の葬儀で最後に弔辞を読んだのは、野田さんと30年来の親交があり、家族や女優の大竹しのぶさん(55)とともに最後を看取った劇作家の野田秀樹さん(57)だった。

「君はせっかちだった。エレベーターが下りてくるのも待てなくて、エレベーターの扉を手でこじ開けようとした姿を僕は目撃したことがある。勘三郎。そんなことをしてもエレベーターは開かないんだよ。待ちきれずエレベーターをこじ開けるように、君はこの世を去っていった――」

昨年5月に初期の食道がんが判明し、12時間に及ぶがんの摘出手術が行われたのが、7月27日だった。その後、気管支切開により声を失った勘三郎さんだが、野田さんにはこう伝えていたという。

「声の出ない役を書いてよ」

これぞ役者魂だった。大竹しのぶさんが弔辞で語ったエピソードでも、「思うように体が動かせなくても、表情と手首だけで見えを切り、看護師さんから拍手をもらっていました」とあった。「もしかしたら、アイツはこのまま声が出なくなるんじゃないかと思っていたんですかね……」と野田さんは続ける。

「アイツは全力で人と付き合っていたから、よく喧嘩もしてた。怒ると、『お前はダメだ』とか『死んじまえ』とか、そんなにまで憤らなくてもいいのに、と思うくらいで。でも、フォローも必ずあって、それが若い人を育てたんだろうな。全身全霊を込めて人と付き合うということ。芝居も、お酒も、遊びも、すべてが全力だった。多分、人を愛することも」

「僕ら2人しか知らないことも多い。30年後なら話せるかな」と語る野田さんが、親友であり盟友、そして戦友の勘三郎さんと最後の別れをしたのは、いつだったのだろうか。

「アイツらしい別れというのは、11月の10日前後でした。友達の気安さと元気づけるつもりで、『お前、これはさ、なまけ病なんだから肺で呼吸すればいいんだよ、肺で』。そう言うと、アイツは少し鼻をふくらませて、やってみようという素振りを見せはしたんですが、すぐあとに口元をフンッという感じで曲げて、ニヤリと笑ってみせたんですよ」

それは、いかにもヤンチャ坊主という感じの、勘三郎さんならではの表情だった。

「なんで笑ったんだろう。多分、”できるものならとっくにやってるさ”という意味だったのかなぁ。ニヤリとね、例の調子で。それが、アイツらしいコミュニケーションの最後でした」

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