「次は男の子だということを父が家族のなかでいちばん喜んでいました。だから一緒に舞台に立ちたかったでしょうし、抱きたかったでしょうし、残念だったでしょう」

 2月3日夜9時59分、肺炎のため急逝した市川團十郎さん(享年66)。翌朝、東京・目黒の團十郎さんの自宅前で長男・海老蔵(35)は報道陣を前に唇を噛んだ。大名跡・成田屋の跡取り誕生を誰よりも心待ちにしていたという。

 團十郎さんが体調を崩し、京都・南座の『中村勘九郎襲名興行』を降板したのは昨年12月18日。都内のかかりつけの病院にそのまま入院した。

「昨年12月5日の勘三郎さん急逝が呼び水になったことは間違いないでしょうね。10月の『勧進帳』のときも風邪気味で、腕には採血の青あざが消えないままでした。それでも勘九郎襲名に出たのは、勘三郎さんへの“恩義”があったから。勘三郎さんの急逝を知ったとき、團十郎さんは『57(歳)か……』と漏らしたそうです。57歳は自分が白血病を発症した歳でした」(前出・歌舞伎関係者)

 恩義ーー、それは04年5月、海老蔵の襲名興行時。初日からわずか1週間ほどで、團十郎さんは病に倒れたのだ。
「父の異変に気づいたのは、他ならぬ海老蔵さんでした。唾液に血が混じっていたんです。診断の結果は白血病。襲名披露中の父の降板という彼のピンチを支えたのは、中村勘三郎さんら梨園の仲間でした」(前出・歌舞伎評論家)

 入院した團十郎さんを見舞った勘三郎は「孝俊くん(海老蔵の本名)、頑張ってるよ」と励ましたそうだ。奇しくも團十郎さんの鼻血が止まらなくなったのは勘三郎さんの通夜の日からだったという。