「いろいろと、ありがとうございました……」娘の神田沙也加(26)に支えられながら、棺に向かって涙ながらに声をかけた松田聖子(51)。サンミュージック・プロダクション相澤会長の通夜に、母娘が参列したのは午後8時過ぎだった。実は、その1時間ほど前には聖子の母・一子さん(80)も通夜に姿を見せていた。
34年前の6月、小雨の降るなか17歳の聖子が福岡から上京し、サンミュージックを訪ねた。しかし、父親が芸能界入りに大反対していると聞いた相澤さんは、「高校卒業してからいらっしゃい」と聖子に告げる。
「いったん、実家に帰ったものの聖子さんはまた翌月に上京し、歌手への夢を直訴しました。その熱意に根負けした相澤さんは、自宅の寮にあずかることを決めたのです。反対していた父親も“一子さんが一緒に住むなら”と芸能界デビューを認めました。聖子さんの夢を理解し、夫を説得した一子さんがいたからこそ、今日の聖子さんがあるのです」(音楽関係者)
それからトップアイドルに上りつめた聖子だったが、米国進出をめぐって相澤さんと対立する。個人事務所を立ち上げた聖子は、17年にわたり相澤さんと対面することがなかったが、06年のディナーショーで再会をはたした。絆の復活は、一子さんが聖子を飛躍させようと、相澤さんに協力を依頼したのがきっかけだった。その後、聖子は愛娘・沙也加のことを“芸能界の父”に相談するようになる。 11年6月、沙也加のデビュー10周年コンサートには聖子、一子さんと並んで相澤さんの姿があった。
「相澤さんは、沙也加さんの10周年にも惜しみない協力をしていました。聖子さんはステージの演出・構成を担当し、娘のためにサポートしてくれた相澤さんの手を握って感謝していました。公演終了後、楽屋を訪ねた聖子さんと相澤さんに、沙也加さんは『これからも、皆さんの力で沙也加を支えてください!』と、頭を下げていました。一子さんも『ありがとうございました』と涙ぐんでいたそうです」(音楽関係者)
言葉に尽くせぬ感謝を胸に、聖子は沙也加ともどもさらなる活躍を誓ったことだろう。