6月25日、ローラ(23)の父親でバングラデシュ国籍のジュリップ・エイエスエイ・アル容疑者(53)が、海外療養費をだまし取ったとして詐欺容疑で国際指名手配された。タメ口&天然キャラで一躍ブレイクしたローラ。だが取材を進めてみると、彼女のキャラクターからは想像できない“辛苦の少女時代”が浮かび上がってきた――。

スポーツ紙のインタビューによれば、90年に日本で生まれたローラは1歳でバングラデシュに行き6歳で帰国。その後も往復する生活が続いたという。だがその間、両親は離婚していた。15年前から父を知るバングラデシュ人男性が明かす。「最初の奥さんはローラさんを生んだ後に逃げてしまったそうです。小さな子2人を抱え、彼は大変だったようです」

父親は中国人女性と再婚。99年ごろには、国立市の木造アパートに家族8人で暮らしていた。ローラには双子の弟がいて、父親とローラと弟、そして中国人の継母と、その間に生まれた双子の赤ちゃん、さらには継母の両親も同居という複雑な家庭環境だった。その後、継母の両親以外の一家は多摩市の都営団地に引っ越すことに。だが、決して裕福な生活ではなかったようだ。団地の住人でもあるローラの出身中学の関係者は言う。「間取りは3DKで、家賃は所得に応じて変わります。収入の少ない人は家賃1万円以下でも入れます」

一家の経済的な苦境には、父の度重なる事業の失敗があったという。ローラはそんな家族のために健気に尽くしていた。当時を知る年配女性はこう語る。「ご両親は共働きだったのでしょうか。ローラちゃんはまだ2歳ぐらいだった下の双子にご飯を食べさせてあげたりオムツも替えてあげたり、よく面倒を見ていました。派手な格好はしないし黒髪でね。挨拶もするし本当にいい子だなって思いましたよ」

だが、そんな彼女の思いは届かなかった。「実母がいなくなっただけでも辛いのに、継母は自分が産んだ双子の育児が最優先で、年上のローラはあまりかまってもらえなかったそうです。そのため反抗期になると継母とケンカを繰り返した時期もあった。でもそんなとき、父親だけはローラの話を聞いてくれたそうです。彼女からすれば『私を愛してくれるのはパパだけ……』という思いが強くなっていったのでしょうね」(ファッション関係者)

それでも彼女は地元のホームセンターでアルバイトし、家計を支えていた。そして高校生になるとモデル活動を始めたが、そこにも父への思いがあったようだ。前出のファッション関係者は「ローラは、モデルを始めるときに『お父さんを幸せにしてあげたいから!』と言っていたそうです。当初は少ないギャラでしたが、ほとんどを父親に渡していました」と言う。そんな大好きな父親が国際手配された。彼女の心の傷はいかばかりだろうか。

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