画業62年を迎えた“藤子不二雄A”こと安孫子素雄さん(79)。この6月には、自伝的漫画『愛…しりそめし頃に…』の最終巻が出版された。駆け出しの漫画家たちが「トキワ荘」に集まって、日本漫画の黎明期を築いていく青春群像を描いた『まんが道』。その続編でもある『愛…~』は『まんが道』から数えれば足かけ43年、本作だけでも24年、連綿と描き続けられた作品だ。その終了を惜しむ声は多い。

「ボクももう年だしねぇ。いつまでも連載を続けられるのかはわからないし。それに、今やめると単行本にするのにキリがいいんですよ」(藤子Aさん・以下同)

 最終回の原稿を描いていた今年3月。健康自慢だった藤子Aさんに、大腸がんが見つかった。最終回の原稿チェックは病室でだったという。眼の前で、朗らかに笑う藤子Aさんは、オシャレでダンディ。とても80歳目前には見えない。たった4カ月前のがん手術さえも、すでに飄々と乗り越えてしまったようだ。

「ボクにはプレッシャーというものがない。うまくいかなかったからどうしようとか、そういうマイナスなことも考えない。自由気ままに生きてきた。遊びを通じて人と出会い、それが仕事につながった。毎日、お酒を飲んでパーティに行って、ゴルフして。そんな生活ができたのも常にプラス思考だったからです」

やりたい放題に暮らしながらも、藤子Aさんは根底で、人の情を何よりも大切にする。妻の和代さんには、それがわかるから、夫を叱りながらも、気丈に支えてきたようだ。2人の結婚は、『オバQ』がアニメ化されたころ。藤子Aさんが32歳のときだった。

「ボクは極端な偏食で、肉や魚はほとんど食べない。戒律の厳しい寺で生まれて、精進料理ばかり食べていたから」

 しかし、漫画家の仕事は超ハード。徹夜続きはあたりまえ。仕事を早く終えた日も、藤子Aさんは、明け方まで銀座界隈を飲み歩き、仮眠だけして、また机に向かった。和代さんは、夫の健康を考えて、結婚当初から毎朝、お弁当を持たせていた。

「ボクがここまでもっているのは、食事がいちばん大きいと思う。タンパク質は豆腐や厚揚げ、油も動物性は使わない。食材が限られるうえ、毎回同じだと飽きるから、そこをいかに工夫するか。ワイフには感謝しています」

 しかも、和代さんは脳内出血で一度、倒れている。’85年のおおみそかのことだった。左半身に障害が残った。それでも、倒れてから四半世紀。和代さんは右手だけで料理をし、お弁当を持たせた。藤子Aさんは、そのお弁当を写真に撮り、色鉛筆で克明にスケッチして、妻の愛情を記録する。

 愛妻弁当で健康自慢だった藤子Aさんだったが、今年3月に初期の大腸がんが見つかる。手術すれば治る。確信した藤子Aさんは、手術室に入るとき、記録用に使い切りカメラを医師に渡して、手術の様子を撮ってもらった。3時間半の手術は成功。とはいえ、高齢でもあり、手術後、突然の大出血でしばらくICUにとどまった。しかし、窓もないICUの環境にパニックを起こし、体力が低下。

 意識が朦朧とするなかで、藤子Aさんは夢を見ていた。そこはトキワ荘だった。青春を共に過ごした“藤子・F・不二雄“こと藤本弘さん、石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さん、先輩の寺田ヒロオさん、手塚治虫先生まで、そこにいる。皆が手招きして呼んでいる。心地よい夢だ。しかし、呼んでいるのはすでに鬼籍に入った人ばかり……遠くから別の声がする。

「そっちに行っちゃダメ。行かないで」それはICUの病床で、必至に声をかける姪の声だった。藤子Aさんはそこでフッと目をさますと、いつものように飄々とした口調で、のんびり言った。

「それは、わからないよ。そのときの流れだし、そのときの気分なんだから」

 その場の緊張が一気に緩んだ。姪が苦笑まじりに「ねぇ、先生。飲みに行く話してるんじゃないんだから」と言った。全員が笑い出す。藤子Aさんらしい生還だ。

その後、ICUを出てからの回復ぶりは、まさに驚異的だった。退院後もゴルフで体力回復を図り、すでに週2回のペースに復活している。退院後初の外来日までは我慢したお酒も「焼酎のお湯割りくらいなら大丈夫」と、先生のお許しが出た途端、復活。退院3日後からは、川崎の家から新宿のスタジオまでの、電車通勤も再開している。いま、考えているのは、これまで一生懸命頑張ってきたシニアたちを元気づける漫画だ。

「いまは夢を持つのも難しい時代。明るいことより暗いことが多いしね。でも、だからこそ無理やりにでもプラス的な思いでいかないと。ボクも笑って生きますよ。間違って同じゴルフクラブを3本も買って、奥さんに怒られながらね(笑)」

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