8月22日午前7時ごろ、藤圭子さん(享年62)が西新宿にある28階建て高層マンションの、30代後半の男性と同居していた13階から飛び降り自殺を図った。遺体は痩せ細り、右側頭部は陥没していたという。

 東京・新宿署を出た遺体は、元夫の宇多田照實氏(65)が乗った車でそのまま都内の斎場へと向かった。だが、藤さんのひとり娘、宇多田ヒカル(30)の姿はそこにはなかったーー。

 近年は、昔からの知人らとも音信不通になっていたという藤さん。06年3月、彼女は米ニューヨークJFK空港で約5千万円の現金を差し押さえられていたことが発覚する。帰国した彼女は、数年ぶりにテレビ局のインタビューに応じ、「5年間で世界中を旅した。5億円使った」と明かすと同時に、「原因不明ですけど、この20年間、吐きまくりの人生です。だいたい1日に5~6回、週に3日は吐いてます。今もそうです」と苦しみを語っていた。

孤独のなかで、精神的にも肉体的にも追い詰められていった藤さん。そんな彼女に、もう一度手を差し伸べようとしたのは、娘のヒカルだった。

「ヒカルは3年前に“人間活動”と称して、いっさいの芸能活動を休止しています。実は、この行動は母親のためにヒカルさんがとった行動にほかなりませんでした。ヒカルさんは、母とうまくいかない原因が、自分が得たお金にあるのではないかと気にかけていました。歌手としてではなく、娘としてなら、藤さんとまた向き合うことができるはず、そう考えたのでしょう」(音楽関係者)

 芸能活動を休止してまで、母親の身を案じはじめたヒカル。音信不通になったままの藤さんへの思いは、募るばかりだった。藤さんの全盛期時代に一緒に仕事をしたレコードディレクターの榎本襄氏は、ヒカルの気持ちをこう代弁する。

「休業してからも、やっぱり彼女は母親のことを気にかけていたんでしょうね。今年の春から月1度、インターFMで『KUMA POWER HOUR』のDJをはじめました。そこには、『自分の声を発信していれば、母親に届くかもしれない』、またリスナーから藤さんの情報がもたらされるかもしれないという思いもあったことでしょう」

 去年7月、藤さんの誕生日に、ヒカルはツイッターでこうつぶやいている。

《『面影平野』歌うカーチャン、すごくかっこ良くて美しい》

 一時代を築いたシンガーがほかの誰より憧れたのは、自分を歌手へと導いてくれた母だった。

 娘の切なる願いは、音信不通となった母に最後まで届くことはなかった。母娘にとって、あまりにも悲痛すぎる結末だったーー。

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