「(吉本新喜劇入団)当時、家内は『ヘレン杉本』といって吉本新喜劇の『看板女優』。『通行人』の僕にとって“雲の上の存在”でした。月給だって、彼女は20万円を超えていたと思いますけど、僕は2万円あるかないか。そんな2人が親しくなったのは、家内がうめだ花月に出演中に熱をだして、劇場近くの僕の家で休んだのがきっかけでした」
そう語るのは、9月6日からの舞台、吉本版『コメディ 水戸黄門』(大阪・なんばグランド花月)で主演を務める西川きよしさん(67)。今年で芸能生活50年のきよしさんは、’46年7月生まれで高知県高知市出身。幼少のころ父親が事業に失敗して、大阪府大阪市に転居。地元の中学を卒業後、自動車修理工を経て、17歳で吉本新喜劇に入団した。
「僕の家は、高知から大阪へ移ってからも貧しくて、二間に親兄弟7人が暮らしていました。でも、母子家庭に育った家内には“狭いながらも楽しきわが家”に思えたそうです。熱を出して運び込まれた彼女を、文字どおり一家を挙げて介抱したことで、まず3人の姉たちと仲よしになり、僕とも親しくなりました」
交際を始めて間もなく2人は結婚を意識するようになる。しかし、結婚については所属の吉本興業やヘレンさんの母親はもちろんのこと、きよしさんの家族も大反対だった。というのも、当時のきよしさんには家族を養っていくだけの収入がなかったからだ。
「それでも結婚を急いだのは家内のおなかに子供がいたからです。ここ何年か芸能界の“できちゃった婚”が話題になっていますけど、僕らの結婚もまさにそうでした(笑)」
当時、やすきよは結成まもなく、上方漫才大賞・新人賞を受賞したとはいえ、仕事は月に10日間の劇場出演だけ。その上、会社から「仕事に支障をきたすからアルバイトはするな」と言われていたきよしさんは、仕事がない日は一日中、アパートの部屋で白黒テレビを見て過ごした。
「そんな状態でしたから結婚してしばらくは、家内がアルバイトをして家計を支えてくれました。彼女は結婚を境に吉本新喜劇を辞めたんですがキャバレーで歌ったり、商店街の大売出しのイベントにゲスト出演したりして。家内には本当に感謝しています。感謝の気持ちをこめて“有給休暇”をあげたい。10日から20日ぐらいどこかへ連れてって、ゆっくりさせてあげたいですね」