9月29日、壮大なテーマ、入念な取材、綿密な構成の長編小説を次々と発表し、つねに第一線を走り続けてきた国民的作家の山崎豊子さん(88)が亡くなった。圧倒的なスケールで社会の問題をえぐるように描く作風は、ときに物議を醸したが、作品は幅広く支持され軒並みベストセラーに。

「90歳を過ぎても書いていただく予定でしたが、今年の夏は暑すぎましたーー」と話すのは、山崎さんの著書を多数出版し、40年以上にわたり親交があった新潮社の取締役相談役・松田宏さん。そんな松田さんが、大作家・山崎豊子ならではの伝説エピソードを教えてくれた。

【婦人記者時代に後の大文豪を叱咤激励】
 毎日新聞学芸部ではファッション・モード関係を担当していた山崎さん。上司は、まだ文壇に登場する前の井上靖だった。「自分の小説が没になった」と落ち込む井上に、「その編集長に見る目がないのよ!」と励ましたこともあるそうだ。

「恩師でもある井上先生が、最初に山崎先生の才能を見いだしたのです。井上先生の推薦がデビューのきっかけとなりました」(松田さん・以下同)

【小説のスタートはモデルありき】
『沈まぬ太陽』主人公の恩地元は日本航空社員の小倉寛太郎氏。『不毛地帯』の壹岐正は伊藤忠商事会長となった瀬島龍三氏。『運命の人』の弓成亮太は元毎日新聞記者の西山太吉氏……各作品にそれぞれ、モデルとなった人物がいるとされているのは有名な話。最初は承諾しないモデルたちをくどき落とした途端、取材攻勢をかけ、のべ数百時間の聞き取りを行う。

「どこでこれだけ習得したのかと思うほど、先生の取材力はすごかったです。描かれた側には必ずしも『よく書いてくれた』と思わず、『なんてことだ!』と思っていた人もいたでしょう。モデルはいても、それを一度ぶち壊して、また寄せ集めたりする。それが先生の手法です」

【構成は『ラスト5行』と『勝負服』の極意】
 雑誌の対談で「最後の5〜6行を最初に書いておいて、そこから題名を取る」と語ったことのある山崎さん。ゴールは執筆スタートの段階ですでに決まっているのだ。しかし、たとえば『大地の子』は、取材から執筆まで8年がかり。最後はフラフラになりながら執筆した。また当時、よく洋服を発注したデザイナーに“エネルギーと情熱がわくような勝利のためのジャケット”を作ってもらい、「ヴィクトリー」と名付けたという。

【恋愛・結婚だけはロマンティックに】
 山崎さんの恋愛観は、着実な執筆スタイルをとる小説とは対照的だった。「これだけは思い切りロマンティックなことがやりたい。純粋に燃え上がりたい。(中略)周囲に迷惑をかけることがあっても我慢してもらいます」と語ったこともある。好きな男性のタイプは、逆境に遭遇しても卑屈になったりへたり込んだりしない、”ど根性”のある男。「そういう男ならぶ男でも金がなくてもけっこうです」とまで言い切っている。

「女の年齢は実力」と宣言し、筆一本で生涯現役で勝負を続けてきた山崎さん。著作同様、その伝説はこれからも語り継がれていくに違いない。

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