91歳でも好奇心旺盛、恋愛についてもまだまだ意欲的な瀬戸内寂聴さん。以下は、寂聴さんの故郷・徳島県で開催されているナルト・サンガ法話の一部ですーー。

「青春は恋と革命」というと、恋と革命は若い人の特権のように思われがちですけど、91歳まで生きてきて振り返ると、私たちの人生は恋と革命だと思います。革命って政治的なことだけでなく、あなたが生き方を変えるのも革命です。

 そして、恋は大革命。私たちは自分の生活に安穏として、「もうこれでいい」と思ったら、そこで止まってしまう。常に何か新しいところへ踏み出そうとするのが革命ですから、それをする勇気を持つことです。

 恋は、幾つになってもできます。今、私は91ですけど、もし100まで生きていたら、100まで恋をすると思います。だけど、みっともないから、いちいち皆さんに報告はしない(爆笑)。

 男の人は年をとると、セックスがダメになる。渡辺淳一さん(80)が老年の性の葛藤を描いた『愛ふたたび』(幻冬舎)という小説を出して、主人公が73歳でダメになったという話を書いていますが、あれはきっとご自分のことです(笑)。(中略)

大女優の岸恵子さん(81)が『わりなき恋』という小説を書きましたね。70歳くらいの女の人が65歳くらいの男の人と仲よくなる。それで、いざというときに女の人の潤いが足りなくて、うまくいかない。その女の人が堂々とお医者さんへ相談に行くんです。それがかっこいいと評判になっていますから、そのうち恵子さん主演で映画になるでしょうね。その小説も、恵子さんご自身の体験だと言われています。(中略)

「恋」と「愛」は似ているようですけど、同じではない。「恋」という文字は「心」が字の下にある。ですから「下心」みたいなもんですよ(爆笑)。その「心」はセックスだと、私は思う。セックスを伴った愛、それが「恋」です。

 仏教では、心が下にある「恋」のことを「渇愛」といいます。「渇」は渇くという意味で、「喉が渇いた」というときの“渇く”。「渇く愛」ですね。それは、いくら愛してもらっても物足りない。もっと愛して、もっと愛してと無限に欲しがる。「渇愛」は男女のセックスを伴った愛と考えてください。

「恋」に対して「愛」という文字は「心」という字が真ん中にある。「愛」イコール「慈悲」です。あの人は慈悲深い、あの仏さんは慈悲深いという「慈悲」です。今の母親は子どもを殺すでしょう。慈悲がないんです。昔の母親は、慈悲の権化でした。「慈悲」は、自分を犠牲にしても相手のために尽くす愛です。

 仏教では、「渇愛」と「慈悲」といいますけど、普通の社会では「恋」と「愛」といいます。人生には「恋」も「愛」も、両方必要だと私は思います。ですから皆さんも、遠慮することはないのよ。ヨン様のような素敵な相手は出てくるかどうかわからないですけど、こっちはいつでも受ける態勢でいる(爆笑)。(中略)

 私もあと3つぐらい、そんな愛が欲しい(笑)。急がないと死んでしまいますからね。人生は「恋と革命」で、そして人間は死ぬまで愛することができるというのが今日の法話です。法話かな、これ?(爆笑・大拍手)

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